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向上心は持つな、向下心を持ちなさい。

ツイッターを開けば


同年代で成功している人がよく目に映る。


会社にいけば、


強制的に競争に参加している。


例えば、


となりの奴がめちゃめちゃ結果を出す。


僕は、頭に血がのぼるのがはっきりわかる。


体の中の気が頭にどんどん集まっていく。のぼせたような感覚になり、うまく次のことを考えられなくなる。


言葉につまり、おどおどするような、本来の自分ではない自分がそこにはいる。


またこれだ。また力を出しきれなかった。

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(つらいときにみる夕日って、輝いてるよねえええええええええ)



もうこんなのは懲り懲りだ。


ピリピリとした空気、忙しい毎日、緊張感が求められるものばかり。


常に目が泳いでいる。


こいつはどうもおかしい。


今日僕がシェアしようと思うのは、今世の中で言われていることとは真逆のことだと思う。


もともとプレッシャーに強かったり、今のままで大活躍なあなたはぜひこのnoteを鼻で笑ってくれ。


ただ、一つだけ言えることがあるとすれば、これは僕らの逆転の切り札だ。


僕たちは僕たちのままで、考え方を変えるだけだ。その瞬間から世界は必ず変わる。


今日は、そんな一撃を食らわしたい。


これを読むと


きっとあなたも耳からコーヒーが出てきます。


そんな感じの記事です。。。。。。。。







向上心は持つな、向下心を持ちなさい。

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これは僕のお師匠の言葉だ。


この人だ。

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失礼、こちらはコシショウ。




師匠というか、僕が勝手に師匠としている人物である櫻井章一さんである。

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この人のことは、グーグレを使って少し調べてみてほしい。


まあ簡単に言うと、雀鬼と呼ばれた伝説的に強い麻雀の裏プロだ。


政治家や裏の人たちが大金をかけて遊ぶ麻雀の「代うち」としてずっと負けなかった人である。


いわゆる極限状態で勝負し続けてきた男。


彼は一体どのようなメンタルの持ち主なのか、どのような考え方を大事にしているのかを知るために、勝手に入門している。(読書している。)


そんな師匠が言う言葉が、向下心を持てである。


著書にはこう書いてある。


みんなが強い向上心を持ち、社会がよしとする価値や目的に向かっていくことが、どれだけ激しい競争を生み出していることか。そのことで、多くの人が心を疲労させ、本来の生きる楽しみを失っている。つまり強い向上心を持つがために、苦しむ人が後をたたないのだ。そうやって彼らが目指す”上”など本当に価値があるものなのか、わたしには疑問である。


ここまではなんとなく分かる。みんなで競争しすぎるのが、人の心を疲弊させることになるのは想像がつく。しかしこの後、衝撃的な一言が書いてある。


だから私は、上を目指すなら”下”を目指す「向下心」を持てと言いたい。下を目指すのは堕落することではない。下とは自然の大地だ。あるいは常識のとらわれない自由な場所かもしれないし、納得感に満ちた己の内面かもしれない。


わからん。


この文章を目にした時、僕は正直混乱した。


それってやっぱり堕落なんじゃないの?とも思ったし、特に自然の大地の部分が圧倒的によくわからん。ヤバさがにじみ出ている。


僕は一旦本を閉じて、youtubeでねこの動画を見漁った。

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かわいい。





それから何日かたったある日、包丁を研ぐ機会があった。

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最近はサツマイモをよく食べたりするのだが、切れ味の悪い包丁だとアイツはラスボスなみに強敵になる。


シュッシュと包丁を研いでいると、あることに気がついた。


あ、これって今下向きだな。下向きに磨いている。


包丁を研ぐ時、そこには包丁一本しかない。それが自分だとしたら、ただ自分で自分を磨いている様子だ。


この孤独。孤独ながらもしっかりと自分を見つめている。それは自分の価値を見つめ、その価値を磨いているのではないか?と思った。


結果包丁の切れ味は戻る。サツマイモを瞬殺できる。味噌汁にいれると絶品だ。


お師匠が言いたいのは、

自分を磨くのに他人を意識してしまう必要はない

ということではないか。

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あいつがやっているから俺もやらなきゃ。あいつに負けられない。一番にならなければならない。それが向上心というものだ。


だが向下心というのものは、常に己との納得感との戦いだ。私はわたしにどんな色をつけたいのか、どんなスキルがいいのか、というものである。


自分の本来の欲求に対して磨くもの、それが向下心なのではないかと考える。


そしてここで気がついたが、私達がすべき努力というのはすべてこの、向下心を持ってすればよいのではないかと思う。


たまには外の世界から刺激をもらうのはよいことだ。しかし、磨くのは他の誰でもない己自身であり、外を向いて焦ってばかりいても何も変わりやしないのではないか。


だから、向上心という言葉を使うのはやめだ。他人がどうかは関係がない。


どうせ今日一日では、今の位置よりも半歩先にしか進めやしないのだ。


見つめるべきは己の現在地だ。君が行きたいと思うところまで、君を磨き続ければいい。


ただ、それだけでいい。





今日は、櫻井師匠から学んだ「向下心」をシェアしてみた。


わお、もうすぐ2000文字に到達する勢いである。


ちなみに僕は今これを「向下心」で書いている。


誰にも求められていない。ただ僕は僕の価値の中で今日も半歩先に進めた気がする。


最高のエゴだ。


夢中に書いていると、どうやら日も暮れてしまったようだ。


なんてシチュエーションが良かったが、まだ昼でめちゃめちゃ天気が良い。子供たちが大きな声を上げて走り回っている。


つまり僕は、傍から見ると引きこもりなわけだ。


でもいいじゃない。


僕は僕の価値を、今日も磨くだけなんだから。



あさくら




[ps]


とは言っても、僕は普通にサラリーマン笑


自分の価値を磨くだけでは生きていけない。


求められたことには全力で答える。


バランスよくやる。


また明日から一週間、がんばるぞおおお。

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