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愛手紙

どもども、やっとこさ週末がやってきたよ。



週末になると、ようやくこの白いキャンパスを手に取れる。それがなんともうれしい。今日は生憎ゴリゴリに雨が降っているので、気分は落ち込み気味だけど、このnoteに向き合った僕は無敵だ。今日もそんな感じでnoteに向かえている。最高だ。



長い一週間だった。入社以降本当に変化が目まぐるしい。一週間の間に自分に訪れる変化がめちゃくちゃ大きいのだ。変化量が多いと、人間は時が進むのを遅く感じるらしい。確かにまだ学生生活に未知数の小学生の6年間と、学生生活の最終形態である高校〜大学の7年間では圧倒的に後者の方が短い気がする。



いざ社会に出てみると、それはそれは心が折れそうなことが続く。いわゆる「どう考えても無茶」みたいなのが目の前に現れて、それにどんな戦い方を挑むのかを問われているような感覚だ。戦い方を間違えれば、かなりつらい戦になる。しかし意外と仕事はシンプルで、でもだからこそ他の人と比較して自分の限界みたいなのが見えてきやすいのかな、とも感じる。



色々思うことはあるが、僕たちは機械ではない。感情というものがなくなれば、こんなにも気楽なことはないな、と何度思うことだろうか。そんな不完全な僕たちには、やはり目を覚まさせてくれる”薬”みたいなものが必要だ。



”コトバ”という劇薬

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生きることは単純じゃなくて、難しくて、行き詰まりそうだと感じたとき、やっぱり僕たちはいつもコトバに助けられる。血の通ったコトバだ。僕たちはなぜかそれに血が通っていることを感じることができる。それは生きているコトバだと、認識することができる。単に売上を上げるためのものじゃない、奥まで透き通った温かいコトバを僕たちは知っている。



下心がない、というのが一番しっくりとくる。コトバには下心がない。何か別の目的があるのではなく、ただその言葉どおりの意味で、その言葉以上の価値がある気がする。そんな言葉達と出会うたびに僕は生きててよかったと感じる。この感覚、多分僕だけではないだろう。



noteがくれたもの

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それは、今まではどうしても届けられなかったコトバたちだ。



SNSは普及した。世界中の人々が気軽に言葉を電波に乗せられるようになった。そして同時に、様々な言葉が僕たちの目の前に飛び込んでくるようになった。でも、それは僕にとってはコトバではなかった。誰もが気軽には発する言葉達は、時に人を傷つけた。たった一言でソイツの人生をめちゃくちゃにした。僕にはそれが本当に価値のあるような、美しいものだとは到底思えないんだ。



でも、noteは自分の一時的な感情で書けるものじゃない。何分、人によっては何時間もPCに向かい、自分の伝えたい物語のためにコトバを真剣に選んでいる。そんな人で溢れている。



魂が宿っていて、でも今までは届けられなかったもの。この世で最も価値があるものが届けられている、そんなプラットフォームをnoteは作り出していると思う。



これからも、このnoteに救われてそして自分もいつかは誰かの支えになれるような、そんなコトバを書けるように生きていこうと思う。



今日はnoteへのラブレターを書いてみました。


最後まで読んでくれてありがとう。


※今週読んで僕の心を奮い立たせてくれたnoteです。

本物です。

ぜひあなたも、読んでみてください。

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