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[アートなトークシリーズ vol.1]年の瀬にふりかえるヨコハマトリエンナーレ2020①

光の破片はつかまえた?
 〜市民の眼・科学の眼でふりかえる
  ヨコハマトリエンナーレ2020〜

アートハッコウショは
さまざまな方の“アートのみかた”を共有することで、
アート体験を深め、楽しみ方を拡げていきたいと考えています。
その1つとして、ゲストにお話をうかがうトークシリーズをブログでスタートします。

1回目は、アートハッコウショの所在地「ヨコハマ」にちなみ、
横浜に住むアートナビゲーター※で、科学を専門とする
メディア・プロデューサー・村松秀さんをお迎えして、
市民の眼・科学の眼でふりかえるヨコハマトリエンナーレ2020」を
テーマにお話をうかがいました。

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アートナビゲーター/メディア・プロデューサー 村松 秀さん

コロナ禍でバタついたこの1年をふりかえるにも、ふさわしいトークとなりました。


1 ヨコハマトリエンナーレの20年って?

日本の都市型芸術祭の先駆け、
ヨコハマトリエンナーレ

ーーー村松さんはアートナビゲーターでありながら科学がご専門ということで、サイエンスの視点でヨコハマトリエンナーレをふりかえると、どんなことがみえたのかをうかがいたいなと思っています。

村松 今日は「科学の視点で」というお題をもらっていたのですが、個人的
にヨコハマトリエンナーレ(以下、ヨコトリ)はとても大事な芸術祭になっています。
2000年に大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(以下、大地の芸術祭)をみて、そしてその翌年の2001年に第1回のヨコトリをみたんです。
この2つがいい意味で対照的で、すごい世界があるなと感じて。
それで現代アートの世界にのめり込んでいきました。
僕は横浜市民でもあるし、1回目から約20年も経つのかと改めて思って、今日はまず先にヨコトリの歴史も振り返りったうえで、2020年のことを話したいなと。

ーーー1回目の大地の芸術祭から20年も経つのですね。
今回のヨコトリもほぼ20年目で7回目でした。
今年はコロナ禍という状況で開催すらも危ぶまれましたが、結果的に、大規模な国際芸術祭としては、2020年に実施した先駆けになりましたね。

村松 ヨコトリは、日本における、市民に開かれた本格的な都市型芸術祭のはしりですよね。
2001年当時、都市で現代アートなるものを感じさせるとはどういうことなんだろうと思っていました。
これを最初に実現させたのがヨコトリだった、ということがとても重要だと感じているんです。

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村松 もう1つ、1回目のヨコトリは、横浜市の「みなとみらい地区」を横浜の新たな中心として位置づけ発展させるための、起爆剤としての役割も担っていたと思います。
メイン会場となったパシフィコ横浜は増床したところでしたし、中に入ることもできなかった横浜赤レンガ倉庫を、おしゃれな施設にリノベーションしたお披露目の役割もありました。
開業して日の浅いクイーンズスクエア横浜や、みなとみらいの象徴の1つ、ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル(以下、インターコンチ)も展示会場になって、横浜中を祝祭気分に包んだようなところがありましたよね。
「なんだ、あの巨大バッタは!?」とか。

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《hisho》ⓒnkmmaki 2001 

ーーー確かに!
インターコンチのバッタは、当時、地元・横浜でふだんはアートに関心のない人の間でも話題になっていました。

村松 あの当時はまだ、みなとみらい線(2004年開業)もなくて、横浜駅周辺が街の軸という感じだったでしょう。
横浜駅から根岸線やバスで、中華街や山下公園に遊びに行く。
みなとみらいは、感覚的にはまだ横浜の中心的な位置づけではなかった時代です。
第1回のヨコトリも、JR桜木町駅から歩いて会場に向かいました。
でも、駅から横浜ランドマークタワーへ続く動く歩道沿いには、イチハラヒロコさんの《恋する美術だ。》のバナー作品がズラ〜ッとはためいて、なんじゃこれ!? という状態。
現在の汽車道の水際には、草間彌生さんのミラーボールがたくさん浮いていて……。

ーーー浮いていました。リアル水玉(笑)。
《ナルシス・シー》ですね。オノ・ヨーコをはじめ、著名なアーティストが多く招聘されていました。
パシフィコのほかに仮設も含めて4箇所くらい会場があって、さらに街中の展示も多く、歩けばアートに当たるような様相でしたね。

村松 そうなんです。
「アートをみに行く」のではなく、「アートがそこにある」場をつくったことがすごいなと思って。
僕はついつい科学との対比でアートも考えてしまうのですが……。
もしも街中が科学であふれていて、知らずしらずのうちに科学が生活の一部のように感じられていたら、今の社会が抱えている科学の縁遠さとは違った感じになるのではないか。
科学でもこういうことはできないだろうか、とも思ったんですよね。

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ヨコトリの根底にあるもの

村松 1回目をふりかえったうえで、改めてこれまでのヨコトリの「テーマ」についても考えました。
1回目はインパクトのすごさもさることながら、「メガ・ウェイヴ―新たな統合に向けて―」という、言葉を選ばずに言えば、全く意味のわからないテーマ(笑)が掲げられていたじゃないですか。
4人の手練キュレーターが、それぞれの場所でそれぞれのキュレーションをする、統一テーマがないから「メガ・ウェイヴ」。

ーーー都市型芸術祭や国際芸術祭のあり様を、日本で示すような要素も強かったのかもしれません。「目指せドクメンタ!」のような。
そして、2005年の2回目は「アートサーカス[日常からの跳躍]」。
もともとは2004年に開催予定でしたよね。
総合ディレクターの磯崎新さんが突然辞退されたために、翌年開催に……。

村松 それで、総合ディレクターが突然、川俣正さんになったという、ちょっとドキドキするような回でしたね。
でも、独特の面白さがありました。
メイン会場が山下埠頭の倉庫という、横浜らしいけれど人々が行き交う場所ような場所ではありませんでした。
それゆえに、第1回の時のような街全体を包みこむ祝祭感は、どうしても失われていたとは感じましたけれど。
ただ、アーティストがキュレーター側を務める国際芸術祭は、まだ日本ではなかったと記憶しています。

ーーー確かにそうですね。
ヨコトリの2008年と2011年はキュレーターが総合ディレクターを務め、2014年に再び、アーティストの森村泰昌さんが登板しています。

村松 アーティストがキュレーター側に立つというのは、視点を「ちょっとズラそう」「変えよう」とか、なにか意味があるよなと思っていて。
ふだん展覧会をつくる側ではない視点で芸術祭をつくるとどうなるのか。
そういった問題提起のようなことを、ヨコトリはいつも大事にしているように感じます。
なにかしらエポック・メイキングことを生み出していくのが、ヨコトリの1つの魅力ではないでしょうか。
今回のヨコトリの、作家にものすごく考えさせることでアートを展開させていく、ラクス・メディア・コレクティヴ(以下、ラクス)のやり方もそうでしょう。
ヨコトリが持つ大きな流れと、軌を一にしているようで、興味深いです。

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《Yokohama Triennale 2005》 ⓒskyseeker 2005

ーーー2011年は、前横浜美術館の館長、逢坂恵理子さんが総合ディレクターでした。
この回から、ヨコトリの主催が文化庁から横浜市に変わっています。
2009年に逢坂さんが館長に就任されて、美術館もヨコトリに積極的に関わる体制に変わりました。

村松 それは横浜の軸が変わっていったことにも呼応しているようにも感じています。
みなとみらい線が開通し、高層マンションなどもどんどん建設されて、「みなとみらい」というエリアが横浜の新しい中心的なポジションへと変わっていきました。
そうなってみると、都市計画上のこととは思いますが、横浜美術館はみなとみらい駅のほぼ真上に位置するという、非常にいい立地です。
みなとみらいの中心の、緑豊かな公園のような空間の真ん中に、ポコンと鎮座する存在。
「なにかやっている」と周辺に発信できる場所なんですよね。
今では、広場(美術の広場)をはさんだ向かい側にMARK ISみなとみらい(2013年開業。商業施設)が建ち、買い物に来ていても、美術館がなにかやっていれば、必ずちょっとした気づきを与えられる場所になっているように思えます。

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横浜美術館(右)と商業施設MARK ISみなとみらい(左)の間にある、グランモール公園(美術の広場) ⓒThirteen-fri

村松 みなとみらいの、横浜という都市の中での位置づけの変化が、横浜美術館に逢坂さんが着任されて、同館が軸になってヨコトリをつくっていくタイミングに重なったようにも感じています。
それ以降のヨコトリは、横浜美術館がある種のアイコンになろう、そう変わっていたようにも思えます。
2011年のテーマは「OUR MAGIC HOUR―世界はどこまで知ることができるか?―」で、ヨコトリのフェーズ自体が祝祭感から少し変わったんじゃないか、そう感じています。

感覚から思考へ。
時間の積み重ねと都市の変遷に呼応したフェーズ

ーーーどのようにフェーズが変わったとお考えですか。

村松 先ほどもお話ししましたが、2001年は祝祭感に包まれた街で、アートを「感じてね、知ってね」というフェーズ。
2011年のヨコトリからは、街全体をくるむのとは違って、横浜の中心にある横浜美術館自体を1つの思考装置の場として位置づけようとしている気がしています。
そしてそれ以降も、さらにフェーズが進んできているようにも感じます。
ヨコトリは毎回テーマが良い意味で難解なのですが、「OUR MAGIC HOUR」からどんどん難解さが上がってきている気がしていて。
2011年の「OUR MAGIC HOUR」は、人の感覚をふだんとは違うところから開きましょうよ、そんな意図があった。
2020年のテーマは「AFTERGLOW」で、人の感覚だけでなく、思考そのものをもっとリッチに開きましょう、という方向へ来た感じがします。

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ヨコハマトリエンナーレ2011の展示風景より
ウーゴ・ロンダーニのネオン作品《OUR MAGIC HOUR》が象徴のように、美術館の建物上に展示された(撮影=村松さん)

ーーー感覚から思考へ、ですか。
偶然ですが、2011年は東日本大震災が起こり、2020年はコロナ禍と、誰もが日常や現在と向かい合わざるを得ない状況になりました。

村松 “マジックアワー”と“アフターグロー”は、言葉の方向性も似ているじゃないですか。
どちらも夕方にほんの一瞬残るような、切ない光みたいなもの。
そうした繊細な気づきを大切にしていくという意味では、共通しているような気がして。
そしてこの10年で、感覚的にとらえることろから、思考的にとらえるところまで進んできたのかなと。
今年、唐突に「AFTERGLOW」というテーマが出てきたら、誰もが「はぁ?」となっていたと思います。
でも、ヨコトリが20年近く継続しているからこそ、このテーマが成立していたのでは、とすごく感じる。
今回のテーマは、最高難易度に達した感がありますけれど(笑)。

ヨコトリの継続から見えてくる
都市型芸術祭と都市の美術館の価値

ーーー先ほど、「考える場」としての横浜美術館の存在というお話しがありましたが、それは都市型芸術祭の1つの価値とも言えそうですね。

村松 今年はコロナ禍なので少なめではありますが、例年であれば美術館前の広場は買い物客であふれていたり、噴水の周りでは子どもたちが大勢遊んでいたりします。
今回のヨコトリでは、その空間に、全体が覆い尽くされた美術館が現れた。
これはひときわ象徴的だと思いました。

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イヴァナ・フランケ《予期せぬ共鳴》2020年
ヨコハマトリエンナーレ2020展示風景

ーーーそれは都市型芸術祭の象徴として?

村松 美術館そのものの価値も。
この作品は、美術館をハコモノという意味ではなく、1つのアイコンとしてみんなに気づきを与えるとか、考えるきっかけみたいな機会を与えている。そのことが典型的によくわかると思ったんですよ。

ーーー大きいし、中はみえない(笑)。

村松 似たようなタイプの作品としては、僕はクリスト(&ジャンヌ・クロード)の作品を実際には一度もみたことがないのですが、例えばパリのポン・ヌフ橋が全部覆われたのは、すごいインパクトだったんだろうと想像します。
川俣正さんが東京都現代美術館を覆い尽くしたのはすごかった。
都市の中でこういうことが起きた時のインパクトや強さは大事ですよね。
特に今年のヨコトリのこの作品は、街の中心でなるべく目立たない感じにしようとしていて、むしろ目立っている、という独特の存在感。
そして、この中に本当に入り込むの? 入っていいの? というゾクゾクする感じがありますよね。

ーーー期待感と抑止力とわからなさのような?

村松 そう、怖さも含めて。
昨日、ちょうど大学生たちと話していた時に、「わからない」ことへの態度の話が出たんですよ。
わからないから「もう諦める」ことと、わからないから「なんだろう、これ?」と食いつくのは大きく違うと。
まさに、これです。

ーーー科学の場合は、わからないから突き詰めるのではないですか?

村松 研究者はそうなのですが、しかし、世間の方々はどうでしょう。
例えば「iPS細胞がつくられました」といった「わかった情報」には飛びつくけれども、「科学自体は難しくてわからない」と、縁遠い世界としてそもそも興味も示さないのが一般的ではないかと思います。
だから、「わからないからこそ飛びついていいんだ」ということをどう提示できるのか、これはすごくナイーブですし、デリケートで難しいですよね。
それにメディア全体も「情報を与えましょう」という方向にシフトしていますし。

ーーーしかも、わかりやすい情報ですね。

村松 そう、“短時間”で“端的”にどう伝えるか、という方向です。
インターネット自体もその傾向を加速させていると思います。
このような状況ですから、「わからない」ということ自体を惹きつけられるようにするのは、本当に難しいと感じています。
しかし、この作品はその部分を引き受けながら、通りかかった人たちに「なに、あれ?」と思わせ、考えさせる。
都市型芸術祭のあり方としても、思考型のヨコトリとしても、この作品はすごく意味があると思いました。
あと、不気味な感じがするのも、時代にマッチングしているところがありませんか?
ちょっと怖い、どこから入ったらいいのかもわからない。
ちょうど新型コロナウイルスという未知なるものにおびえる気持ちで充満しているところに、この作品が目に入る。
すると、そうしたわからなさと向き合う気持ちと、ダイレクトにつながって感じられるのではないかと思います。(次回へ続く)

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取材は2020年10月25日、アートハッコウショで行いました。
※アートナビゲーター=(一社)美術検定協会が主催する「美術検定」の1級合格者

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