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鍵ジィ

火の元に注意して、鍵ををかけて、1人でお留守番。「1人の時間」「何も起きない」「ボーッとした時間」が苦にならない、むしろ得意な気がする。

この感じの時間、何かに似ていると、ずっと考えている。なんだろうとずっと考えている。

子供の頃のあの感じ、そうだ「鍵っ子」だ。昭和30年から40年、高度経済成長期に話題になった生活のスタイル。共働き両親やシングルマザーやシングルファーザーの家庭にある鍵っ子の存在。今は、何て呼ばれてるんだろう。自分としては、切ない記憶というより、皆んなそうだと思っていたのもあって、マイナスの記憶ではないように思う。

小学生の夏休み。両親を送り出してからは、ずっと1人で過ごした。友達が来るか、外に遊びに行くか、それ以外は、何をしていたんだろう。ふわふわした感じしか思い出せない。夕方には、必ず両親が帰ってくる安心感があったのだらうか。今は、共働きの嫁が不思議と必ず帰ってくる。

中高では、監視なく遊べるというメリットに変換していたと思っていたのだが・・

毎年の同期会で中高一緒だったM君が毎回「コイツ、家に行くと必ず居るんだよな」と面白がって言っているのを思い出す。なにがそんなに面白いのか分からないが、必ずその話をする。「外で遊んでから行くと必ず居た」

仲が良かったという事を言いたい奴ではないし、そうゆう内容でもない。根暗で内向的とでも言いたいのだろう。バラしてどうするんだ。知っている奴は知っている。もちろん「鍵っ子」が理由ではない。

鍵っ子から鍵ジィ


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