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喜びも悲しびも みんな生きたい

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口には出せなかったけれど  心が折れそうな危うさの中で 私たちは 同じ風景を眺めた 青い海を見ているの?  白いカモメを眺めているの?  あの日 ここに私たちがいた  そのこと…
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記事一覧

The Last Beatles Song −はじまりと終わり−

日航機のタラップに降り立ったはっぴ姿の四人の若者たち。                                  深夜にもかかわらずカメラフラッシュの中、TV画面に映し出された晴れやかな 彼らの笑顔を忘れない。武道館公演のチケットが手に入ったと言って、上京した 知り合いを羨ましく思いながら、ぼくはTVの前に釘付けになっていた。 パトカーに先導されて、彼らを乗せた車が夜明け前の首都高速を疾走してゆく。 突然画面から音が消えた。その時だった。天を突き刺すようなレノンの雄

春来春去

春来て春去り 季節はめぐって 今年もまた春がやってきた・・・・・・ 「もうええか?」 短くて小さな声だった。 朝方、眠っている私の右上の方から聞こえてきた気がした。 聞き覚えのある声だった。 あれはきっと父だ。 父はもう20年近く前に癌を患って死んでいる。 こんなことは今までに一度もなかったけれど、 でもあれは確かに・・・?! わたしは父の声を覚えていた。 近頃、気分の変動に自分を合わせていくのが辛くなることが増えてきた。 免疫力が減ってゆくのは詮無いことで、と

木霊(SOUL)

1鉢500円のポット苗  妻が植えたゴールドクレスト いつの間にか3メートルを超える高さまで 大きくなった。 何度か剪定を繰り返したが それでもいよいよ電線に届きそうになる位まで 成長した。 安全のためにと脚立に上り大胆に切って スリムにした。 剪定した直後の枝は リラクゼーション効果のある フィトンチッドの爽やかな油性の芳香を周りの世界に 充満させた。 いつもならその香りを楽しむために室内に置いておくだけだったが   なぜかこれで「 書 」を楽しみたいという 衝動に

今日の太郎に。 明日の花子に。

「一」は、始まりの伝言 そして「一」は、 出直しの伝言 ここから いまから 心の中は いつも いつまでも ずっと 「一」から・・・・・ フレーフレー太郎 ラッセーラッセー花子 すべてみな変わりゆく世界に 「祝福」と「希望」を贈りたい #新社会人に伝えたいこと

京都、 絵に描きたい情景 。

京都の四季は美しい。 過ぎた日々を思い出すと、 切なくて、恋しくて。 じわーーーーーっと。 青い墨が手漉きの和紙に沁み込んでゆくように ゆっくりと、静かに私の気持ちが満ちてゆく。 そんな情感を、旅人の私は、 いつか絵に残したいと思っている。 第一景) 雨瀟瀟 初回のテーマは「雨」です。 荷風の作品に「雨瀟瀟」と云うのがあると知った。 ここでの「瀟瀟」とは、静かに寂しげに雨が降りつづく様に近く、 秋の長雨、「しとしと」ということばが似合う。 一方で、「瀟

黒侘助

モラトリアムな季節 アプローチの脇に侘助椿を植えたのはいつ頃だったろう。 そう言えば昔、通っていた大学の、かつての市電通りを挟んで西側に、「わびすけ」という名の薄暗い喫茶店があった。 授業をサボってはよく足を運んだ場所だった。 入り口横の大きめの窓には町屋の雰囲気が漂う格子が取り付けられていた。 ちょうど店の前には市電の停車場があって、窓からは学生たちが頻回に乗り降りする光景が見えた。 私は窓辺の席に座って、訪ね来ぬ友を待つように、行き交う学生たちのシルエットを眺

いのちを想う。

目の前に迫る危機 失われゆく命 生まれ来る命 命の儚さ尊さを想う。 そして魂の救いをねがう。 『蓮蕾を拾う』 阿弥陀さんの指がそっと触れた その先に 輝くいのち。 今年ももうすぐ 3.11がやって来る。

春に遊ぶ ー電電・疾疾ー

私は京都が大好きです。 この三年の歳月、 コロナの雪解けを待ち焦がれて、 漸く都に春を叫ぶ時が来た、 来たと思いたい。 待ち望んだ春の到来に歓喜して、マスクを外した守護神童子に 京都の空を乱舞してもらいましょう。 いざ !! 一番手は叡山(比叡山)の上に遊ぶ 雷神童子 「春だ春だ、ピカゴロ電電 電電」 二番手は如意ヶ嶽(大文字山)の上に舞う風神童子 「春一番、二番も次も疾疾 疾疾」 京都建仁寺にある国宝、宗達の「風神雷神図」が好きです。 何度も見に出かけました

青く滲む 「しみ」に極楽浄土を見た

左右対称のインクの「《し》沁み」を応用した心理テストがある。 図版が何に見えるか、何を想像するか 、表現した内容を分析することで、人の思考過程やその病理を解釈する人格テストである。 実は昔、そのテストを私は受けた。 大学生の時であった。心理学専攻の院生が修士論文や博士論文を執筆するために行う実験の被検者として。 実験に協力すると自身の履修科目の出席日数にポイントが還元される。催眠療法のそれになったこともあった。 今思えば、モラトリアムで不真面目な学生だった(と思う)

君は、 もう忘れたのかい?  深い森のことを・・・

販促ポスターを作りました。 「boたん」さんからいただいたカスタマーレビューを紹介します。 大人こそ読むべき絵本です                  2022年2月18日に日本でレビュー済み             絵本というと、子どもの読み物に思えますがこの作品は子どもはもちろん、大人の為の絵本だと思いました。マルジに心を持っていかれ、美しい世界観と、綺麗な絵に引き込まれます。今の時代(コロナ禍)は、命や在り方について一歩立ち止まる、人間にとって大切な期間だと考えます

絵本が輝いていた日々。

絵本に託された「ことば」たち                                    子どもたちが小さかった頃、我が家には毎月絵本が2冊届きました。妻の大学時代の友人が、長女の出産祝いにと、絵本の定期便をプレゼントしてくれたことがそもそもの始まりなんです。 以来、私たちは毎月送られてくるのを楽しみにしながら、親子で、絵本を読み聞かせする日々が始まりました。 やがて、長女は1歳になり2歳になり、送られてくる本も、中身が分厚くなり、サイズも倍ほどになっていきまし

愛しのことば・たち

                     いつ頃からか、はっきりとした記憶はない。ただ、自分の生き様について答えを探し求めて、見つからず、見つけられず、諦めて。しかし、また思い直して、答えを探し求めて。 そんな繰り返しの中で、ある日から、私の心にじわじわと輝き始めた「ことば」があった。 『すべては変わりつづけてゆく』 やがてそれは、私の内面に留まって、私に「生きている」を実感させる「意思」を持つ生きもののようになっていった。             * * * 先

いつの日か、きっとまためぐり逢える。

大切な「人」、大切な「もの」たちとの別れは 私たちに深い哀しみを与えます。 ひとりぼっちでいることが こんなに辛くて寂しいものであるとは思いもしなかった。 「残されたものはもう何もないんだ」と、 膝を抱えてうずくまっていた私に   君の懐かしい声が聞こえてきたんだ。                    「懐かしいことば・眩しい光」 「いつの日か、きっとまためぐり逢える」 君が教えてくれた 君からのギフト。                          道

二十年目の貼替え

写真(↑)は私の好きな寺院の障子です。 泉涌寺の塔頭雲龍院の雪見障子です。 私の京都寺社巡りのきっかけを作ってくれた景色なんです。 四角い小さな窓から、椿、灯籠、紅葉、そして松が見え、4つの宇宙が織りなす四季折々の風情を堪能することができます。 私はシンシンと雪が降って、手漉き和紙の白さが一段と増す寒中がやっぱり一番好きです。 元来、私は障子を通過する柔らかな光に包まれたちょっと暗めの空間に身を置いて、静寂を味わうのが好きでした。そこに伽羅のお香が漂ってくればパ