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あたしが書店で本を買わなくなった理由

 社会人になって数年間、出版社の営業の仕事をしていた。
出版社の営業の相手は取次と書店だ。新人の私は書店まわりが主な業務だった。
新刊本を営業して注文を取り書店のいい場所に置かせてもらう交渉をする仕事だ。

 書店に並ぶ本は取次を通した委託販売制で、出版社は書店に自社の商品である本を置かせてもらっている。
通常は3か月ほど置かせてもらって、売れなければ返品される。
まったく売れなければ一か月でどっと返品されることもある厳しい世界だ。

 小さな出版社で歴史も浅く、ベストセラーを出したこともない、つまり信頼も実績もない出版社だったので、営業は大変だった。
売れない可能性の高い本を書店に置かせてくださいと押しかけるのだから、書店の対応はさんざんだった。
サブカル系の本やアート寄りの本、実用書がメインの会社だった。

 書店の仕事は、次々に届く新刊本の検品、品出し、レジ、補充、返品、問い合わせ対応など、山のようにある。
その仕事の最中に営業マンが来る、しかもマイナーな出版社の売れなさそうな本の営業。
そりゃ大概の書店員は塩対応である。
書店員はだいたいムスッとしていた。肉体も疲弊するし、客への対応で精神的にも疲弊するしで、営業マンへの笑顔の余裕などなかったと思う。
まあ笑顔を向ける必要もないし。

地方のサブカルに強いチェーン店の書店(カタカナのあの店)へ行ったら、女性店長の機嫌が悪かったのか、目の前で名刺を破り捨てられたことがある。
今はもう何とも思わないが強烈な思い出である。

 営業する側の人間の疲弊も、書店員側の疲弊も不毛だった。
何も生み出さないどんよりした空気。
早く機械によって自動化されるといいのに。
結局この出版社に勤めている間、ベストセラーが生まれることはなかった。

 だが新刊本の著者のサイン会などのイベントを大型書店ですることが何回かあった。
著者に対する書店員の態度は、ニコニコと丁重なもてなしで、普段の私への態度とは別物だった。
これが同じ人間のする所業かと目を疑った。
まあ著者あっての書店であり、もしかしたら今後ベストセラーを生むかもしれないのだから、丁重に扱うのが無難ではある。

 こう書くと書店員の悪口をただ書いているよう印象を受けるかもしれないが、もちろん中には対応がいつも丁寧な人もいた。いいたいのはつまり、いい人もいれば悪い人もいるという一般論だ。

 そんなこんなで出版営業の仕事をしたことで書店の表の顔から裏の顔まで見てしまったわけで、プライベートでは書店へあまり行かなくなってしまった。
さらに事情により低収入で生活をすることになったこともあり、本を買うのが金銭的に難しくなったという理由もある。
図書館で本を借りて読むことが多くなった。
その意味で、私にとって図書館の存在は大きい。
本に触れる機会を平等に与えてくれるからだ。
もっぱら小説と人文書、美術書を読んだ。

 私の場合、本が好きだから出版社に勤めたが、出版流通のリアルな現場に疲弊して書店が一時期嫌になってしまった。
今は本と関わりのない仕事をしていて、経済的な余裕ができたこともあり、手元に置きたい本はなるべく書店で買うようにしている。
若いうちは好きなことを仕事にしてもいい。
ずっと続けられたのならたまたま向いていたということ。
しんどいなと思ったら方向転換してもいい。
逃げでも何でもない。あなたの人生の大いなる前進なのだから。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。