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簡単な自分史、書いてみた⑤

1.小学校までは優等生??
2.無気力な中高生時代
3.なんだか楽しくなってきた大学時代
4.落ちこぼれがまさかの大学院へ
5.初就職は地元を離れて派遣社員から
6.まさかの結婚?
7.妊娠ってこんなに難しい?
8.次男出産後、どん底を味わう…
9.自分がこんな働き方するなんて!
10.大器晩成型?? 今が1番楽しいかも!

4.落ちこぼれがまさかの大学院へ(2)

中高時代は落ちこぼれ、大学時代もそんな成績が良くなかった私が
なんと大学院(ドクターコース)まで行くことになったお話。

続きです。

さて勉強ができないけど実験はそれなりに楽しくて
日々実験に明け暮れていた日々を過ごしていたある日。

事件が起きたのは笑 ドクター論文の発表会のリハーサルだった。
何月くらいだったかな??
あんまり覚えてないけど秋くらい。

久しぶりに大学に行き、いろんな研究室の先生の前で
リハーサルを終えて質問もそれなりにかわし
ほっとしたそのとき・・・

ある研究室の先生が私に質問をした。

「論文はファーストネーム(一番最初に自分の名前が来ること)
で何報書いてますか?」

うろ覚えだが、「2報です」と答えたような気がする。

するとその教授が言った。
「それは少なすぎるのでコース修了が厳しいですね」

え????? 

いいわけだが笑
私は学部、マスターコース、ドクターコースとすべて研究所内での
諸事情によりすべてテーマが変わっていた。

周りを見ているとマスターコース、ドクターコースは
同じテーマで5年間やっている人が多い。

そのうえ、落ちこぼれ気質?なので人よりあんまり論文は
書けてなかった。

でも論文何報以上ないと卒業できないという規定はうちの大学?
学部?にはなかった。

今思うとその教授の気分?で卒業させられないといわれるなんて
すごい意地悪だ笑

でももうそこにはそのルールを守るしかない雰囲気が漂ってた。
なぜならその教授は大学院内で最大派閥の研究室のボスだったから。

私の研究室の先生も私も青ざめ・・・
わたしは研究所の先生に相談しにそのまま慌てて研究所に戻ったのを
覚えている。

研究所の先生たちと相談し、何とか内容を絞り出し、そして
足りない内容は追加実験することにした。

そこからはもう今までとは非じゃないくらい忙しい日々が待っていた。

研究所を出るのは午前様という日々が続いた。
優しい守衛さんが「大丈夫?あんまりがんばりすぎないで。」と
心配してくれた。

幸い、一人暮らしをさせてもらって研究所からは徒歩圏内だったので
帰る心配はしなくてよかった。

そして帰るとお風呂に入ってばたんきゅう(死語)
気づくと朝になってた。

毎日家にいる時間は7時間くらい。
そんな日がどれくらい続いたのかな??

でも研究所の先生たちもすごく助けてくれたから、ここで卒業できないと
先生にも迷惑がかかると必死だった。

そして無事に論文は仕上がり、無事に掲載された!!
私のつたない論文は先生の手でほとんど書き直されたけど・・・

そしてドクター論文の発表会本番。

人前で話すのが苦手な私は何度も何度もリハーサルと重ねた。
研究所の先生の前だけでなく、一人でも何度も。

おかげでそのスライドを見たら、気づいたら話し出せるくらい
完璧になった。

発表の内容も論文の数もクリアしたので異議を申し立てた教授も
認めてくださり、無事に卒業が決まった!!!

あの時、ぎりぎりであきらめず頑張ったことは今の私にも
大きな自信となっている。

基本、ちょっと油断するとすぐに怠ける私だが・・・
あの時頑張れた自分を思い出すたびに、もっと私はできる!!と
自分自身に勇気をもらっている。

そしてこの卒業のために多くの人が私のために動いてくださった。
それが当たり前ではなく、本当にありがたいことだと改めて感じた。



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