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【開催記録】 第50回 アート対話カフェ 2023/10/23(月)

今回のテーマ

今回は6名の皆さまと、画家の自画像について2作品を鑑賞しました。

鑑賞の途中で、肖像画ではなく、自画像ということを明かし、それぞれ困難を乗り越せて画家の道を進んだ二人の画家の決意を皆さんと話し合いました。

1作品目

アンリ・ルソー「風景の中の自画像(私自身、肖像=風景)」
1890年 プラハ国立美術館蔵

参加者から出た意見

  • 背景で気になるのが、おじさんが絵筆を持ってこれから絵を描きますっていう感じなんですけども、キャンバスがどこにもないのが不思議な感じ。

  • 足が浮いているんじゃないかなって。なんで黒い服着てるのかなーっていうのも疑問に。

  • この人どこに立っているんだろう。建物の上の方に立っているのかなって思ったんですが、船があるところに小さい人が5人いて、この人たちはこの船の側に立っているのかなって思うんですが、それとの境がなく、とても不思議な絵。

  • 他の方と同じように浮いている感じもするし、遠近的におじさんがすごいでかいって感じがして、インパクトがガーってあって、威圧まではいかないけど、パリッとして、飛び込んでくる。それも背景がぼけているので迫ってくる感じ。

  • 雲の描き方がすごく面白い。切り貼りみたいな、色も面白いですし、リアルな雲の描き方じゃないですよね。だから何を意図してこういう不思議な雲をしかも色とりどりの雲で描いている。画家の人が目立っているのは画家本人が自分の存在感を目立たさせたかったのでは?

  • 雲に関連してですが、左上に太陽だと思うんですが、こんな雲と太陽ってないと思うんですよ。だから今何時くらいなんだろう?

  • 皆さんのお話を聞いて左の雲がおかしい気がして、なんか地図なのかな。赤い点は自分がいるところなのかなと思ったりして。どこの地図なのかも分かりませんけど、そんな意味があるのかなと。右は島を表しているようにも見えています。

  • このおじさんの表情が楽しそうじゃない。一点を見つめて、顔は白いし、左側は赤くなっいるし。皆さんのお話を聞いてて、黒い服だし、宙に浮いているってことで、もしかしてもう死にそうな方なのかな。自分の人生振り返って、一体俺はなんて空虚な人生だったんだろう…みたいなそういう思いの表情かなって。

  • 今の意見が面白かったんですが、私は逆で、顔が高揚しているから、かっかっかっかしているのかな。遠くをみつめてきりっとにらんでいるじゃないけど。肩があがっている感じがするので、息巻いている感じが伝わるなと思いました。前のめりじゃないけど、心にかっかっかっか思っているものがあるんじゃないかな。

  • 前面にでてきているので、悲しいとかだと出てこないのでは。すごい、思いがあるから前に出てきているんじゃないかな。描いた人の想いなのか、この黒い人を思う人が描いたのか、どっちなのかな。

  • 背景に船がある。ここに万国旗がある。この背景がこの船があるのとないのを考えたら、やっぱりある意味を持ってこの船と万国旗を描いたのかなと思ったら、画家の心境としては、自分は独自に絵の道を、自分の方法で誰に学ぶこともなく、やっていくんだっていう、それこそ決意みたいなのがあるのかな。船は何かを象徴しているのかもしれない。

  • この描き方が不思議な描き方なので、この人、自分の描き方を、これだけ大きいのは存在感を表したいのかな。これグリーンの気球ですね。空を飛んでいるみたい。

  • 画家が持っているパレットに逆さで文字が書かれているんですけど、これをここに書くっていうのは、何か強いメッセージがあるのかなと思ったり、画家のサインなのかなと思ったり、何が書いてあるのか気になっています。


2作品目

三岸節子「自画像」
1925年 一宮市三岸節子記念美術館蔵

参加者の意見

  • 目つきといい、唇を半分噛んでいるし、肩に黒い液体がずずーって流れているし、現代で言うなら貞子みたいな。そういった怨念を絵からヒシヒシと感じている。

  • 私もコワイと思って、1枚目はすごく手が込んで描かれていたように見えたんですけど、今回は勢いでざっと描いたのかなっていうぐらい、筆の荒々しさというか、ざざざっと描いたかすれた感じがする。ヒビもいっぱい入ってて、それも怖さを醸し出していて、着物の着方が逆で、死んだ人と同じ。だからこの人は生きていたのかな?って思ったり、肖像画みたいに描かれているけど、なんだかコワイというかミステリアスだなと思った。

  • 作者の自画像かなって思ったんですけども、自分の中の二面性というものを表しているのかなと思いました。右と左で全然違うような気がしたんですね。彼女から見て左側の方は明るく楽しくほがらかにやっている自分。右側はみょうに冷静で、冷めている自分がいて、もの事批判的に見ている、っていうその二面性をこの中に込めたのかな。

  • 左側の目と右側の目の表情が違う感じがしたんですね。左側の方がちょっと黒目が薄い、そこからは怨念というか疑いというか、どっちも疑いが感じられますが、怨念みたいな感じで、黒目に色が入っている右の方は、悲しみみたいなものが入っている感じ。自画像ということを聞いて鼻がぼやけて描かれている、口もぼやけて描かれているってことは、もしかしてそこに不安があったりするのかな。

  • 悲しそうだな、でも何か訴えかけてくるなーというのが第一印象で、ひだりの顔と右の顔が全然違う。実際手で顔を半分隠してみたときに、片方は微笑んでいるみたいに見えるし、片方は口角が下がっていて悲しそうに見える。だからフクザツな感情を両方同時にみるとそういう印象を受けるのか。

  • 皆さんに質問です。この絵に描かれている人の目に着目するんですが、右の黒目の大きさと、左の黒目の大きさ違う。左が小さい。見ている方向も右側がまっすぐ。左は↓を向いている。どうして左右の目の大きさが違うし、見ている方向が違うのか、普通はなりませんよね。ちゃんと見ているときはそうならないですよね。描いた人が何かメッセージを伝えてるんだと思うんだけど、皆さんはどう思いますか?

  • これが作者の自画像だとしたら、精神的にすごく不安定な気がして、そこもコワイというところと通じるんですが、画家だったら、描きたいものがしっかり決まっていて、あえて意図的にこんなふうに描いたんだったら、そういうここに吸い込まれてほしいじゃないけど、ここに魅力をこめようとわざと描いたのかな。

  • 私はスゴイ自画像だなと思っていて、人間の顔ってシンメトリーじゃないと思っているので、右左違うだろうと思っています。私は肌の感じとか、こんなふうに描けるんだーってすごく不思議な感じがして、耳が全く見えないですよね。髪の毛で隠れているのかもしれないし、あるいはわざと黒地で隠してみたのかもしれない。この自画像、独特というかユニークな。怨念とはちょっと違うようなすごさみたいなのを感じています。

  • 思い出したんですけど、人間の顔って右半分、左半分どっちがどっちだったかあまり覚えてないんですけど、本来の自分と社会に見せる顔と自然に表情に出るっていうことを聞いたことがあるということを思い出しました。

  • 髪型ですけど、右側が目にかかっているような。左の方と形が違うなって。シンメトリー全然ないなと思って、こんな髪型の人がいたら変だなって。ただたまたまそういう髪型になった瞬間なのかもしれないけど、左右で違う髪型になっているような気がしました。

  • 髪型ですが、この感じの顔だったら、小学生とか小さな子には見えないので、それを気にしていたんですけど、19、20って聞いたときに、そんな歳でこんなおかっぱみたいな髪って前衛的なんじゃないかなって。画家として女性としても、前をいってやるという強い気持ちがこういう姿になったのかなと想像を広げてみました。

  • 確かに強さを感じると思いました。自分がもし自画像を描こうと思ったら、もっといいようにみせるというか、自分のいいところをみせようと思うのですが、この人の場合は自分の内面も全部さらけ出して、自信があるんだと思うんですね。それも含めて、私は隠さず、内面を抉り出すよ、という宣言みたいな力強さを感じました。

  • 前の方と同じように、あえてここまで不安気に、マイナスなところを思いきり出して描いているんじゃないか、その可能性もあるんじゃないかって感じて、それをやれる10代ってすごい。

  • 嫌なことを描くことができる人っているじゃないですか、着物にしてもクリアじゃないし、嫌なことがあったことを思い出しながら、描いているんじゃないか。嫌なことがあったときに描いているんじゃないかと。


最後に

同じ絵を見ても、一人一人意見が変わってくるのは、毎回面白いですよね!

アートに関する知識や情報は不要です。
皆さんもアート対話カフェで、「観察する力」と「考える力」を育ててみませんか?

参加者の皆さん、またのご参加お待ちしております!

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