いしかわしゅんは諦めない。
突然ですが、僕は諦めが悪いです。
自分に「諦める?どうする?」と問いを投げた時に、「絶対あきらめねえよ。馬鹿なの?お前」と返ってきます。
いや、マジで。
そんな僕にだってどうしても諦めたい時は人生に何度も訪れた。
あまり自分のことを話さない僕だからこそ、みんなに知って欲しい。
今の諦めない僕が出来上がるまでのノンフィクション物語です。
いしかわしゅん18さい。かっこいい系バンドやってた時。
この頃からずっとベース&コーラス。
「先生、頭痛いです。今日おやすみします。」
僕は小さい頃から母親に「私のいう通りにしていればうまくいくから。」と言われて育った。
なので、僕自身で考えて何かを選んだり、答えたりしたことがありませんでした。
そして、僕の全ての取り組みは【嫌だけど、やらなきゃいけないからやっている】か、【別に嫌じゃないから適当に続けてる】の2種類。
【どうしても嫌だけど怖いからやめれない】と思っていた野球を僕は中学を卒業して、やっと辞めることができました。
それまで幾度となく使ってきたのは仮病。
電話で調子の悪いふりをして、休むことを何度伝えたことか。
数えきれません。
やめたいって、素直に言えばよかったのにね。
Lyon Takahashi(2020)
最近描いてもらった僕の絵。僕の好きがたくさんつまってる。
初めて触れた、自分の「やりたい。」という気持ち
高校生の時にたまたま楽器に触れる機会があり、バンドを始めました。
親の「どうせやめるんだから、最初からやめときなさい。」という反対を初めて押しのけた。
それからというものの、毎日バンド一筋。
楽しくて仕方なかった。
本気で「メジャーデビューして、売れっ子になって、ステージから最高の景色を見るんだ!」と言ってました。
朝から晩までベースを弾いて、ライブハウスに入り浸り、バンドに打ち込んでいました。年間で70本くらいはライブしてた。まじで。
気になる方はこちらからMV見てみてね。
賞レースの優勝、ラジオ出演、東京遠征、ワンマンライブ、ツーマンライブ、自主企画イベントの成功、メジャーバンドとの対バン。あっという間にヒーローになり、地元で有名なバンドのメンバーになりました。
たくさんの大人に期待され、僕自身も自分に期待していました。
ある日、当時いきものがかりのドラムを務めていた方から「音大に推薦で入るチャンスがあるんだが、こないか?」と話がありました。
でも、僕はチャンスを手にすることはありませんでした。
一番右が僕。20さいくらい。
顔に自信がなくて、髪の毛で覆っていればカッコよくなると思ってた。
18才、夢を諦めた。
僕は偏差値60ちょっとくらいの、秀才がたくさん通う大学を受験した。
ちゃんと現役で受かるように、メンバーに何度も頭を下げて、バンド活動を休止して勉強した。
音大でもなく、専門学校でもなく、ただ偏差値が高く、有名なよくわからない大学。
はっきり言って将来のことを考えたら、大学に入っておいた方がいいと思った。そうです、バンドマンになって、音楽で飯を食うことを諦めたのです。
本当に悔しかった。
悔しくて、悔しくて、たまらない気持ちで勉強をしていた。
それは、「本当はバンドマンとして生きていきたかった。」という気持ちを押し殺して選んだ道だったから。
でも、あの時は正しい道だと思ってたんだ。でも、違った。
人生諦めモードの時に手にとってハマった。
ダメダメで、誰よりも真面目な太宰治を愛している。
ただ、一さいは過ぎていきます。
僕は大学入学後、バンドに復帰したけど曖昧なポジションをとり続けた。バンドマンとして生きるのか、就職するのか。迷った挙句、バンドを辞めた。
いろんな人に引き止められた。ずっとお世話になっていたライブハウスの店長、弟のように扱ってくれたバンドマンの先輩たち、ベースを習っていた尊敬する師匠。
「今からでも謝りに行け!!やめるな!!お前は若いんだから!!努力すれば絶対に売れるんだよ…。やめるなよ…。」
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
結局、反対を押し切って辞めた。
そのときから「安心したい。」以外の何の目的もなく入学した大学に通う日々が始まった。本当につまらなかった。
また、適度に休んでサボって、なんとなく生きる日々に逆戻りした。
まるで脳が死んでしまったかのように、なんとなく日々を過ごしていました。毎日何にも用事なんてないのに、物思い顔で空を眺めながらまずい弁当を食べてボーッとしていた。
ただ、一切は過ぎていった。
青山学院大学の文化祭のテーマソングやった。
母校じゃないけど、懐かしい。
こちらから聞けます。
諦めねえよ、勝つまでは。
結局、あまりにもやりたいことがわからなくなった僕は1年間休学した。
就活、留学、長期インターン、ビジコン、他のバンドを組んでみる、サークルでベースを弾く、ボランティアをする、何でもやった。
後悔だけはしたくない、と何でも少しでもやりたいと思ったことに挑戦した。
そうして、何となく人のやりたいことを見つけたい、実現させたいという気持ちを見つけた。
案の定、2ヶ月程度で就職活動は終了。一度も面接に落ちなかった。
正直、楽勝だった。
そして、僕は絶好調で入社したイケイケリク◯ート系の人材会社を、4年生10月・内定式の日に内定辞退を決意した。
就職活動、再開。
もっとやりたいことがあるぞ!!と確信して、また一歩踏み出した。
もう人生通して就職できないかもしれない、という怖さがあったけど、安心にひたって自分が腐っていくのだけは、もう嫌だった。
結局12月に内定した会社に勤めている。
またもや、2ヶ月程度で就職活動は終了。
今回は死ぬ気で5社同時長期インターンとかしてた。
働いてみたいところでは全部働いた。
そして、今の会社に勤めて1年半ほどたっている。
もうこの時には親から自身の可能性を否定する声は耳に入ってなかった。
何度も進路選択の話でぶつかり合った結果、最後はほんの少しだけ応援してくれた。
全て自分のことは自分で判断して決める。という至極当然の原則を身を以て知っていた僕にとって親は脅威ではなくなっていた。
そして、2度と誰かのせいにして自分のやりたいことを諦めてやるもんか、と誓っていた。
いつの日か、僕は自分の描く未来にたどり着くまでは、諦めることをやめていた。
憧れのたまの石川浩司さん、曽我部恵一さんと対バンした。
着用ジャケットは友人のファッションデザイナーZONO SUITS。
現在打ち込んでいるバンドはこちら。
面白いので気をつけてください。
あなたレコード、始めます。
今、どうしてもやりたい!と思った仕事をしている。
今、ここに住みたい!と思った家に住んでいる。
今、やりたい!と思った音楽を続けている。
そして、僕は新たな挑戦をしようとしています。
ソロの音楽活動です。
あなたの想い、曲にします。
そんな意味をつけて込めた名前です。
あなたレコード。
一言でいうと、テーマソング屋さんをやります。
フリーランス、コミュニティ、企業、組織、カップル、誰でもお相手します。
現在、会社で本業としてやっているファシリテーション、ワークショップ、コーチングの力を使ってあなたの想いを引き出して言語化します。
そして、音楽という形で表現します。
世界初のサービス。本格的に形にしていくのが楽しみです。
それでは、また!
はぐくむハウス。
今の諦めない僕であり続けさせてくれる大切な家族。
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