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子育てをがんばる私はお気のどく? この違和感の正体を探る

この前会った時さ、大変そうだったからさ 気のどくになっちゃった
だからさ もう少し子供が大きくなってからでいいんじゃない

新人時代にお世話になった高齢の恩師と久しぶりに会い
すこし遠方に住んでいる彼のもとに集まって花見をすることを提案した

口数のすくないひとだけど、その時は乗り気に思えたし
昔の職場の人たちに声がけして、日付をきめて、セッティングをしていたら

下の子が歩くようになってからの方がいいんじゃないとのメッセージがあり
真意を図りかねて電話をしたら こう言われた

どうやら わたしが子連れ参加したら他の人達に気をつかわせる
そう思われたようだ

たしかに高齢の彼を気遣って、都心から少し離れている彼の住んでいる町に集まろうとしていたので
忙しい人達にわざわざ集まってもらって子供の世話をさせるんじゃわるいと
そう思われるのはわかる。

しかし、そもそも夜のワインバーではなく昼間のピクニックを提案していたわけだし
声がけしていたのは皆、子育て経験者だし、なかには小学生連れもいるし、
その彼だって、男の子2人の父親なので(だいぶ前の話だけけれど)子どもというのはどういう生き物かわかっているはず、、なのに

その方は御歳85歳 戦前に生まれ、激動の時代を生き
男性が子育てに参加することなく(実は明治初期までは男性の子育て育児は当たり前だったのだけれど)
仕事一筋でやってきた世代。

だから、まあしょうがないのだろうと思うのだけれど。

けれど、なんだろうこの違和感は。
世代の違い、考え方の違い、働き方の違い、性別の違い、居住地の違い
それらをひっくるめても しつこく引っかかった小骨のように
喉を通らない 哀しみにも似た感情
まるで私の全てを否定されたような気がする

違和感はどこから

そもそも何であの人は、私のことを「気のどく」だと思ったのか

きのどく(気の毒)=相手の苦痛や困難な様に同情して心を痛めること(さま)
大辞林 第四版

ああそうか、あの人は、言うことは聞かず言葉遣いは悪く中間反抗期真っ只中の5歳児と、まだ抱っこで離乳食を食べおっぱいをせがむ0歳児を両脇に抱え、日々移動をしなければいけない私(なんだったら普段は最近構ってくれないからスネ気味の7歳の柴犬もついてくる)の様子を見て、なんて大変なんだろうと思ったのか。

その方とお仕事をご一緒をしていたのは新人の時。20代前半、大学はダンス部だったから身体はしまっていたし、外出にはハイヒールは欠かせなかったし、男ばかりの職場だったから多少の愛嬌も身につけていた。2泊分の荷物が入るスーツケースを片手に、日本全国(なんだったらその後の部署では海外各地を)飛び回っていた日々。

それに比べて今はどうだろう。40を手前にして産後の体型は元には戻らず(出産だけが原因ではないけれど!)、愛用するのはメレルのスニーカー(雨でも滑らない最高)、メイクは2-3ヶ月に1回ぐらいしかしないしお風呂ではシャンプーだけ。まだ次男が0歳だから自転車に乗れないし、行動範囲は徒歩圏内。(そもそも犬がいるから基本移動は徒歩ですし)


それでも私は今の方が幸せだ。

これ以外の人生は考えられないし、今の自分が困難な状況に置かれていると思ったことすらない。

相手から見えている自分と
私が思う自分の差異
違和感の正体はこれだったのだろうか

子育てはキャリアかプライベートか

私って社会的にみたらお荷物なのかなあ
懐かしい職場の人たちとお花見もできないのか
とちょっとセンチメンタルになる気持ちは脇に置いて

そもそも、その見え方の差異はどこから湧き出てくるのか
noteの記事をボーッと見ながら気がついた

もしかしたら、これは働き方・キャリアの捉え方の差なのかもしれない

私にとっては、子育てはキャリア上にある
(ある意味)自ら望んでコンペに出て勝ち取った人生を賭けた一大事業だ
だから楽しい お金という資本主義的な対価はないが
日々の発見と私自身の成長 そして満面の笑みで抱きついてくる子供達のぬくもりという
豊かな恵みを得られる

課長や部長、本部長にはなりそこねたが(というかそもそも興味もないのだが)
息子達の母親、という世界を代表する企業の代表取締役的な肩書を得られた

長時間勤務も土日出勤もできないが(というかそもそもその文化自体がおかしいと思うのだが)
公園で、保育園の送り迎えで、ママ友パパ友と仲良くなり、横のネットワークが広がっている(貨幣経済的な仕事に結びつきそうな出会いもある)

今は世間があっ驚くような大きな事業も、大人同士のお付き合いもできないかもしれないが、
人一人の成長に向き合い、家庭内の摩擦を受けては流し、彼らのお腹を満たし、人はこうして育つのだと腹の底から理解することは
人生に欠かせない経験、キャリアの一つではないか。
(全ての人は昔みな赤子だったのだと忘れている人があまりに多い)

85歳の彼が生きてきた時代のキャリアは一本線であることが当たり前だったかもしれないが
私が思う本来の姿は、それぞれの生き方にあわせて枝分かれし、クネクネ曲がり、側を走る線と時に交わり離れながら伸びていくもの

だから、私は自分自身が選んでついた職業と生き方に誇りを持っているし、
気のどくと思われる筋合いはない。


一度言い出したら曲げない頑固な85歳
もともと彼が喜んでくれるかなと思って企画した花見だし
今年は見送りになった。たぶんこれから先も私から言い出すことはないだろう

懐かしい面々に会えないのは残念だが
まあ、これに気づけたからよしとするか。

最後に一言、彼に言いたい
歩き出すようになってからの方が大変なんだよー (ヨチヨチどっか行っちゃうから 追いかけないといけなんだよー)

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