File.06 小島遼子さん(チェロ)インタビュー
チェロの演奏活動を行うかたわら、後進の指導・育成にも力を入れる小島遼子さん。実際にチェロの演奏も披露していただきながら、ご自身の活動についてお伺いしました。
―― 現在の活動内容を教えていただけますでしょうか?
演奏活動と指導が主な活動になっています。
―― 指導はどのようなところでされているのですか?
自宅教室や楽器店にての指導、またオーケストラや室内楽がある中学校・高校へ出向いての指導となります。
―― 演奏活動と指導活動は、割合としてはどちらの方が多いですか?
コロナ禍に入って演奏の機会が減ってしまったんですよね。それでも昨年ぐらいから対策をとって開催するようになり、徐々に回復しつつあるんですけども。それまでは演奏活動の方が比率としては高くて、その合間を縫って指導をしているという形でした。
コロナが流行しはじめたときに、教えに行っていた学校は感染拡大防止のために外部の人が入れなくなってしまったため、ZOOMでレッスンをしたりしました。でもZOOMでは生の音は聴こえないため、やはり見た目や音程しか指導ができない。かといって何も教えないと、子ども達の独学になってしまうんですよね。別にプロになるわけじゃなくても、楽器をやっていて大事だと思うのは指導者がいて、正しいことを教えてあげるということですので、ZOOMでの指導を続けていました。基本的に演奏活動に重点は置いていますが、指導にもすごく力を入れたいと思っています。
―― ご自身の活動において、コロナの影響はどのくらいありましたか?
私はブライダルの仕事もしているんですけど、2020年のコロナが流行りはじめたときは、1ヶ月まるまる仕事がないときもありました。挙式がないんですね。演奏会もどんどん中止・延期になっていって、一昨年はほとんど演奏してないですね。
コロナ禍になって気づいたんですけど、音楽を聴きたい人って沢山いるんだということ。演奏を聴いてくださったお客さまからも「やっぱり芸術もないとね」というお声をすごく聞くようになりました。だから、今のほうが変な話、チケットが売れるというか。演奏家だけじゃなくて、一般の方もいろんなことを我慢しているので、やっぱり何か癒しや娯楽を求めてらっしゃるんですよね。
そういう経験も踏まえて思うのは、映像配信とかもやりましたけど、文化芸術ってやっぱり生で聴いてもらうのが一番だなということです。できれば会場で聴いていただきたい。でも、唯一よかったのは、コロナ禍をキッカケに映像配信することになって、今までホールにいらっしゃらなかったような方たちが音楽を聴いてくださるようにもなったことです。いつでも聞けて、知ってもらうという意味では良かったなと思っております。
―― 中学生のころからチェロを始められたそうですね。
そうですね。私の母が声楽をやっているので、その影響もあり、4歳からピアノを、小学校から合唱を始めました。チェロは中学に入学してからです。中学生当時、私は体格がよくて背が高いということもあったので、当時入っていた室内楽部の先生から「あなたは背が高いからフルサイズのチェロが使える」というのでオススメされて。今はチェロもブームになりつつあって人気なんですけれども、当時はまだ女性がチェロを選ぶというのはそこまで浸透していなくて、どちらかというとみんなヴァイオリンとか、華やかなほうにいきたいというか。なので、すごくチェロをやりたくてチェロを選んだというよりは、変な話、余りものだったからなんですけれども(笑)。
ただ、ヴァイオリンとかは、小さい頃からやっていないとプロになれないってイメージがありますが、チェロだと小学校の高学年や中学生から始めても音大に行ける可能性が高い、プロになれる可能性が高いんです。当時は全然プロになるとは考えてなかったんですけれど、人生どう転ぶか分からないですね(笑)。
―― そこからずっとチェロを続けていかれたんですね。
そうですね。中学でチェロを始めたときは、音大に行くとか、プロになるという考えは全然なくて。ただ高校受験のときに受験がキツくて、チェロに逃げたって言ったらおかしいですけど、チェロをやるのがすごく楽しかった時期があって。そしたら「音楽の道もあるんじゃないか」って思えてきて、高校生のときに音大に行くことを決めました。でも、やっぱりいろんな方達から反対されましたね。遅いわけですよね、音大へ行くには。いろんなことをもっと早くから始めなくてはいけない中で、3年間でどうにかしないといけないわけですから。なので、学生時代は相当苦労しました。音大へ行ったら行ったで、やっぱり周りのみんなの方が弾けるように聴こえたり。自分が一番劣ってるんじゃないかと思ったり、学生時代はずっとコンプレックスを持ってました。
―― 音大を卒業されたあとは大学院に進学されたんですね。
音大の4年間でどうにもならなかったといったらあれですけど、このまま音大を卒業して世の中へ出ていっても、チェロでやっていけるんだろうかと思っていたので、洗足学園音楽大学の大学院へ進学しました。これには母の縁もあります。母が昔、学生だったときに、同じアパートに住んでいた音楽のお仲間が何人かいたんですけども、その中でヴァイオリンをされていた方が、当時、洗足学園音楽大学の教授をされていて。で、私が国立音楽大学を卒業するタイミングで「良かったら洗足学園へこないか」とお声がけいただいたんですね、よい先生がいるからと。それで洗足学園へ行って、基礎ができたというか、「音楽家としてやっていこう」という決心ができました。
―― 現在は長野を拠点に活動されていますが、長野には大学院を卒業後、すぐ戻ってこられたんですか?
いえ、大学院を卒業した後、2年間、ヤマハに講師として勤めていました。ただ、ゆくゆくは長野に帰ってこようという思いはずっとありました。やっぱり地元が好きだったので。長野出身のチェリストの方って実は結構いらっしゃって、その先輩方に「いずれは長野に帰ってきたい」という話をしたら、長野へ戻ってくるなら20代のうちに帰ってきた方がいいというアドバイスをいただいて。長野では、地元に根づいてファンを作っていったり、聴いてくださる、知ってくださる方を増やしていったほうが活動の幅が広がる、と。だから帰ってきたいのであれば、20代のうちがいいと言われまして。そういうアドバイスもあり、2年だけ東京で活動して、長野へ戻ってきました。
―― 実際に長野へ戻ってきてみていかがですか?
最初のうちは正直そこまで活動がなかったです。アンサンブル・ノーヴァというオーケストラがあって、そこには学生の頃から所属していたんですけれども、長野へ帰ってきた直後の活動は、そのアンサンブル・ノーヴァのオーケストラぐらいでしたね。自分で何かやらない限りはなくて。あと、チェロとは逸れますが、帰ってきてすぐ半年だけ教員をやったんですね、中学校で。
―― 中学校の音楽教諭ですか?
はい。音楽の先生が急に亡くなられて、その代理だったんですけど。
このときの経験が今の自分には非常に大きなものになっています。今はフリーランスで活動しているので、教師のように、一個の組織に属して、あれだけ沢山の人がいる中で活動するというのはよい経験となりました。
それと、先生って喋らなきゃいけない職業なんですよね。今でこそ普通に喋れますけど、当時は人前で話をするのが苦手で。だけど毎日先生として立っているわけですから、喋らないといけない。特に音楽の先生って、卒業式とか始業式とか何か式典があると合唱がついてくるので、必ず全校生徒の前に出ないといけない。ハートを強くしたのは教員経験が非常に大きいですね。
このとき、音楽の授業と合わせて支援クラスも持っていたんですよね。支援クラスに通っている生徒の中には発達障がいがある子もいて、こういう子達の中には、できることもあるけどできないことも沢山ある子がいるわけですよね。そういう子の中には、机の上の勉強はできなくても、音楽の才能がずば抜けている子がいたりするんですよ。楽譜も読んだことがないのに耳がすごく良いとか。教員をやっていて1番学んだことは、子ども達の良いところを見つけてあげること。先生と生徒との関係は3年間で終わってしまうけれど、果たしてこの先この子達はどうなるんだろうとか、特に支援クラスの子達はすごい考えるキッカケになって。私が今、中学や高校の部活の指導に力を入れている理由というのは、このときの教員経験も大きいですね。
―― 中学校は半年間だけ勤められたんですね。
もうちょっとやらないかとお声がけいただいたんですけど、当時、全然チェロを弾けなかったのが大きかったです。
大学院まで出たという思いもありましたので、申し訳ないけど半年限りという形で辞めて。
でも、その後もちょこちょこお声をかけていただくようになりましたね。演奏活動をしているので、学校にお勤めはできないんですけど、小学校に1か月だけ行くこともありました。それがキッカケで、鑑賞教室で演奏に行ったりとか、勤めていた中学校に進路講話の外部講師として呼ばれて行ったりとか。演奏以外でのお話する仕事もいただいたり、活動の幅が広がりましたね。
―― nextに登録したメリットはありますか。
nextからいただける仕事は結構ありまして、全然知らない方とか、長野県外からのお話しもいただいたりしてます。全然知らない方から直接依頼が来ると、果たして信用していいのかどうか不安になるのですが、一度事業団を通してくださることで、安心してお引き受けできるところが大きいと思っています。チェロは珍しいので、コロナ禍以前は結構お話をいただいていました。
―― どういうところからの依頼が多いですか?
一番多いのは温泉ですね。湯田中のとある温泉さんは、結構nextを活用してくださってるところで「今回はこういう編成が良いから○○さんと○○さんをお願いします」とご依頼してくださったりしています。
▲取材中、実際に演奏を披露してくださいました!
―― 今後の活動予定を教えてください。
引き続き今やっている指導の面と演奏活動の面をやっていきたいですね。もっと知ってもらいたい、長野に音楽を根ざしていきたいです。
特に後進の指導や育成にも重点を置いていきたいです。もしかしたら、私が教えている子の中からプロになる子も出てくるかもしれない。コロナ禍になって音大の受験生がぐっと減ったんですよね。それってやっぱり金銭面が大きくて、音楽高校までは行っていても、お金がかかるので音大へ行けなかったってお話をすごく聞くんです。せっかく夢を持って音楽高校までいったのに、ご家庭のご都合でいけなくなっちゃったとかね。日本全体で音楽文化がコロナ禍の影響で衰退してしまうというのは非常に危惧しているので、やはり後進を育てていくことはしっかりしていきたいです。そういった仕組みや支援もあると、子ども達にとってもいいのかなって思いますね。
小島 遼子 (チェロ奏者)
長野市出身。柳町中学校室内楽部にてチェロを始める。
国立音楽大学演奏学科チェロ専攻卒業。洗足学園音楽大学大学院研究科修了。
チェロを宮澤等、北沢加奈子、藤森亮一、北本秀樹の各氏に師事。
オーケストラensemble NOVA、須坂メセナホールオーケストラに所属。
八十二文化財団ロビーコンサート、松代文化ホールワンコインコンサート、信濃毎日新聞社ロビーコンサートに出演。
2011年、2013年にコンチェルトのソリストとしてオーケストラensemble NOVAと共演。
2014年に須坂メセナホールオーケストラにてブルッフの「コル・ニドライ」を共演。
2015年に長野市交響楽団にてエルガーのチェロコンチェルトを共演。
2017年に長野と東京にてソロリサイタルを開催。
2018年に長野高校管弦楽班とハイドンのチェロコンチェルト第1番を共演。
柳町中学校室内楽部指導者。現在、長野県内を中心にフリー奏者としてソロ、室内楽、オーケストラなどの活動を行っているほか、後進の指導にも当たる。
(取材:「信州art walk repo」取材部 倉島和可奈、塚原夏樹、藤澤智徳、村井大海)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?