年賀状はオワコンと理解してるのに、それでも出してしまう理由
師走です、年末です。
年末のルーチンワークといえば、アレですね。
年賀状です。
あらゆるものが電子化されていき、SDGsの一環として環境問題が叫ばれる昨今、この文化っていつまで継続できるのでしょうか。
私自身は年賀状という文化はまぁまぁ風情があって良いかな、とまだ思えていますが、一部の友人は
「年賀状をもらったら出さないといけない、ある意味では不幸の手紙だよ」とまで嘆く始末。
喪中や住所変更という面倒なルールまで存在し、確かに時間を食う作業であることは間違いありません。
事実、年賀はがきの発行枚数は右肩下がりです。
ちなみに大企業でも年賀状廃止の動きは拡大化してきており、この慣習は間違いなくより風化の速度は今後上昇すると思います。
とはいえ、年賀状という文化にメリットが全くなくなったわけではないでしょう。不変的な価値もあるわけで、そこを見出せる人は続けてもいい文化と個人的には思います。
年賀状を出す意味を自分なりにまとめてみました。
来年もこれを見て面倒くさがることなくペンを奮い立たせたいと思います😅
年賀状を書く意味はどこにあるのか??
私なりの見解は下記の通りです。
「住所」を確認する重要性がある。
相手の住まい・そして自分の住まいを毎年定期的に確認できること。これは地味に大事です。近しい仲であればそんなことは当然把握しているのですが、少し縁が遠のいてしまった相手に報告をするという意味合いが存在しています。
物理的に「書く」という重要性がある。
今年も年賀状を書いて思いましたが、「ペンで文字を書く」という機会が失われがちな昨今、すごく大事な動作だと思いました。自動変換で忘れがちになっている漢字・単語を思い出せる絶好の場です。そして、筆圧などを意識することで美しい字体を書き出す創意工夫の精神も養われるというオマケつき。
その人と過ごした1年を「思い出す」という重要性がある。
ほとんどの人が印刷を使うでしょうが、一言、二言は筆を添えて出すでしょう。その時に必ず考えます。
その人とは今年どう過ごしたかな?今年は会う機会がなかったけれどもかつてどんな話をし、来年はどんなことをその人としたいかな?という記憶の回帰ができます。時には後ろを振り返ってから前に進むことも大事です。
「ハガキを出す」という重要性
食事をとることですら、ウーバーイーツに頼むくらい出無精になる昨今。この寒冷厳しい中でポストに投函するという行為は地味な苦行です。とてつもなく面倒くさいですが、それは先方も同じこと。
「相手もその苦労をしてくれているんだ」と感謝の心が生まれます。とにかく感謝はいっぱいしておきましょう。人間の器がでかくなります。
結論:手間と愛着は紙一重
世界中が通信でつながり、かつ、通信端末は誰もが所有するようになった昨今、年賀状の存在意義は年々失われつつあるでしょう。
しかし、面倒な作業にも一手間をかけれるということに価値を見出す人もいるのも事実だと思います。
利便性だけを求めていけば旧車に乗る人はいなくなるし、自動巻きの時計もつける必要はありません。
手間をかけることが愛着につながっていくという不合理性を愛せる人にとっては年賀状は良い文化として残っていくでしょうね。
なんだかんだで毎年文句いいながら年賀状の準備をする。
「あぁ、年末だなぁ〜」と実感するのも悪くないかもしれません。
それでは今年も残り1週間!よろしくお願いいたします。
KCC
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