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取手アートプロジェクトが模索する、地域とアーティストの良い関係

日時:2021年6月16日16:00~
場所:たいけん美じゅつ場 VIVA
(〒302-0014 茨城県取手市中央町2−5 アトレ取手 4階)
HP:https://www.viva-toride.com/#about

6月16日、ART ROUND EASTに加盟する「取手アートプロジェクト(TAP)」の活動を伺うため、TAP実施本部事務局長を務める羽原康恵さんのもとを訪れた。場所は、JR取手駅に直結した文化交流施設「たいけん美じゅつ場 VIVA」。美術作品の展示スペースや、人々が集える自由な空間が併設され、思い思いの過ごし方ができるVIVAには、小さな工具から3Dプリンターまで備えられ、年間を通じて展示やワークショップなどのイベントが行われている。TAPが運営を委託されているこの場所は、一見敷居の高そうな美術というものの「入り口」として、そして、社会とアートの「結束点」としての役割を目指して、2019年に開設された。

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(VIVAで開かれたワークショップの様子・2020年撮影・取手アートプロジェクト提供)

この日も、学校帰りの学生や仕事帰りの社会人などが教材やパソコンを開き、展示やプロジェクト作品に囲まれながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。工作室から聞こえる3Dプリンターとインパクトドライバーの音をBGMに、羽原さんのこれまでの活動と今後の展望を伺った。

取手アートプロジェクトとは

取手アートプロジェクトは、市民・取手市・東京藝術大学が共同で企画・運営を行い、「芸術表現を通じた新しい価値観の創造」を目指すアートプロジェクトだ。1999年に開始され、2009年までの12年間は開催時期を限定したフェスティバル形式で運営され、全国の作品を展示する《公募展》や取手市で活動する作家を紹介する《オープンスタジオ》を、毎年交互に開催してきたという(初年度のみ同時開催)。

2010年にNPO法人を発足し、より長期的な視点で企画・運営が行えるようになった。《アートのある団地》と《半農半芸》という2つのコアプロジェクトを主軸に、日常の中にアートを取り入れたまちづくりを行う傍ら、まちづくりに携わる人の育成や取手で活動するアーティストへの支援など、地域の芸術インフラを整備するベースプログラムも行っている。

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(作品が展示された街の様子・1999年撮影・取手アートプロジェクト提供)

世界を変えるスケールは

TAPの実働部のコアとなるNPOに立ち上げから関わり、現在も理事と実施本部事務局長を務める羽原さんは、TAPとどのように出会ったのか。それは、羽原さんが筑波大学の学部生だった頃まで遡る。

当時、大学で国際関係や安全保障を学んでいた羽原さんは、巨大なスケールの国際問題を前にして、勉強と現実の乖離に悩まされていた。そんな中、参加していた別の研究室で、市町村合併が決まった村で新しい祭りを作ることを通じて、合併後にもその地域の文化や誇りを後世に伝えようとする事業に偶然出会った。そこでは、よそ者に対して距離のある態度だった地元のお年寄りたちが、回数を重ねるごとに活動に前のめりになっていき、明らかな姿勢の変化を目の当たりにした。その時に感じた「このスケールでなければ、人は変わらないのではないだろうか」という気持ちが、今の活動の原点になっているという。

卒業後は、その可能性を確かめようと大学院に進学し、「芸術支援学」専攻で学びはじめた。そのタイミングでTAPに出会い、インターンとして取手に通うようになったことで、地域に暮らすアーティストや住民と関わりながら企画を運営していく面白さにすっかり魅了され、TAPの活動にのめり込んで行ったという。

地域の中でアートを育む体制を

大学院卒業後は、静岡の複合文化施設での企画・運営などに携わった。そこでも、TAPで学んだことを活かそうと、地元の人々とアーティストのつながりを生む仕組みを模索していたという。そんな中、結婚・出産を機に取手に戻ってきた。

羽原さんは、戻ってきた当初、TAPに対して「アンチな感情があった」と当時を振り返る。そこには、TAPに対しての「あれもできるはず、これもできるはず」という期待値の高さがあったという。「自分の親に対して期待が大きいのと同じ気持ち」だったと、当時の複雑な心境を説明した。当時のTAPは、毎年度予算を取ってはイチから企画・運営を行っていた。会期が終わると、まちはいつもの風景に戻り、跡に何も残らない。しかし、直後から次年度に向けて、展覧会の準備に取り掛からざるを得ない。そのような環境で、運営を担う市民スタッフにはだんだんと疲弊が募っていった。地域の中にアートを育むにはフェスティバル形式の事業でなく別の形があるのではないか。羽原さんはこの疑問を感じていたからこそ、取手に戻ってもTAPにすぐには戻らなかった。

しかし、2009年11月、TAPを主導していた東京藝術大学の渡辺好明教授が亡くなる。活動の中心を失った大学と市には、長年続いたアートプロジェクトの継続について「そろそろ潮時なのではないか」という空気が漂っていたという。TAPの存亡が危ぶまれていた中で、これまで積極的に運営に関わっていた市民が「TAPを無くしてはいけない」と自ら動き出し、NPO法人の設立を計画。この立ち上げ期に羽原さんは声をかけられ「特定非営利活動法人取手アートプロジェクトオフィス」の理事兼事務局長としてTAPに再合流した。こうしてTAP解散は回避され、さらに継続的な活動ができる体制が整えられた。

制約が「らしさ」をつくる

TAPがNPOを設立した2010年は、あまり幸先の良い年とは言えなかった。前年に政権交代が起こったことで「これまでの文化事業の財源がほとんどゼロになり、すべての助成金がほぼなくなってしまった」と当時の様子を驚きを交えながら振り返った。予算が足りず、毎年恒例のプロジェクトを行うことができないうえに、フェスティバルのマンネリ化も深刻化していた。また、予算規模の桁違いなアートフェスティバル(越後妻有アートトリエンナーレ・瀬戸内国際芸術祭・あいちトリエンナーレなど)が全国で行われるようになり、規模で勝負できない条件の中、他の都市と異なる方法を考える必要があった。しかし、今ではそれをポジティブに捉えており、「予算がなかったからこそ考える期間を作ることができた」と話す。

その状況で、新たな活動を模索していたTAPは、フェスティバル形式を脱するために「まず、きちんと拠点を開く」という方針で活動を開始した。過去の公募展でリノベーションした団地のスペースを拠点に、7月から翌年3月までという長い会期を設定し、ワークショップやレクチャーをはじめ、合唱や盆踊りの練習まで開催。さまざまな活動を、アーティストや市民を巻き込んで行いながら、取手で行うアートプロジェクトの形を模索していった。それらの活動をもとに、「取手という場所だからこそ、取り組む価値があること」を話し合った際に生まれたのが、取手の地域性を生かした《アートのある団地》と《半農半芸》のプロジェクトだった。

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(団地に開かれた拠点・2011年撮影・取手アートプロジェクト提供)

個性を引き出す《アートのある団地》

《アートのある団地》は、取手市内にある団地の中で、アーティストと住民が日常生活の中で関わり合い、そこで生まれる新たな表現を模索する実験的な活動だ。

「この企画は取手の地域性と密接に関わっている」と羽原さんは説明する。取手という街は、東京で働く人が暮らす郊外として発展したため、地元の人に加え、日本全国から多様なルーツを持った異なる世代の人が集まっている。団地は特にその傾向が強く、異なる出身地、異なる文化、異なる価値観を持った人が大勢集って暮らしている。そんな団地は、さながら日本の縮図といえるのではないか。多様な価値観の混在する団地に新たなコミュニケーションを生むことで、住人一人ひとりが互いの個性を尊重しながら、新たな関係性が生まれる場や仕組みの創出を目指して、《アートのある団地》の活動はスタートした。

《アートのある団地》の印象的な事例を伺うと羽原さんは、美術家の深澤孝史氏による「とくいの銀行」を挙げた。団地の住人の「とくい」を、銀行を模した共同の「口座」に貯金し、必要な時に必要な人が引き出せる仕組みだ。花を育てることが得意なおじさんを例に挙げ、その人の「とくい」を引き出し、一人の人間として関わることで、それまで「自治会の人・〇〇の人」などおじさんに絡みついていた属性が消え、顔の見える関係に変わるという。

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(とくいの銀行・2017年撮影・取手アートプロジェクト提供)

そこに《アートのある団地》のメインテーマがあると羽原さんは話す。団地という特殊な場所には、「いろんな力を持った人が、その個性を見せずに暮らしている」と説明。一対一の顔の見える関係を作り、その人の特徴や癖など、普段は隠しがちな個性を自由に表せる場をつくることで、互いを受け止め、尊重しあえる関係を構築できると信じている。《アートのある団地》は、日本の縮図とも言える団地を舞台にした、新たなコミュニケーションの模索の場となっていた。

表現活動と自然との関わりを考える《半農半芸》

取手は東京の「郊外」に位置し、都心で働く人々のベッドタウンとしての役割を担いながら、昔から続く農業の営みも残っている地域だ。「取手にはもともと多くのアーティストが住んでいた。30年前に藝大ができてからは、東京へのアクセスと家賃の手頃さなどの理由から、若いアーティストも住居やアトリエをを構えるようになった」と羽原さんは話す。農業が営まれ、芸術家も多く住んでいる取手の街で、新たなプロジェクトについて話し合った際に出たキーワードが、「半農半芸」だった。

当初、《半農半芸》プロジェクトは、芸術家が農家とうまく繋がることで、芸術活動を継続しながら、「ちゃんと食べていけるような仕組み」を考える試みとして10年前に始まった。しかし、立ち上げたばかりの頃に東日本大震災が発生し、原発事故の影響で取手も一時ホットスポットになったという。土地の状況に対する感覚が千差万別だということが可視化され、まずは自分たちが立つ大地の状況を知ることから始めなければならない、と感じたことから、「人間が自然とどのように地続きに生きて、表現しているのかを考え続けるプロジェクトに変わっていった」という。

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(地域住民やアーティストがヤギを描く様子・2019年撮影・取手アートプロジェクト提供)

コロナ禍での新たな取り組み


コロナウイルスの感染拡大によって、これまで行われていた様々なイベントが中止を余儀なくされた。しかし、活動が制限されたからこそ、これまでTAPや羽原さんが課題だと考えていたことに着手することができたという。それは、地元で活動する作家たちとの関係が限定的だったという課題だ。

そこで昨年度から取手市と共同で、現在取手で活動するアーティストの情報を集め、データベースを作り、ホームページ「ART LIVES TORIDE」で発信する事業を開始した。この事業は、展示会などの中止により収入の機会を失ったアーティストの支援を目的としているが、データベースの構築により、アーティストとTAPの連携ネットワークの拡大にもつながっており、今後の活動の基礎固めとなっている。

また、学童にアーティストを派遣するプログラムも昨年度立ち上げた。自身の子どもを学童に預けていた経験のある羽原さんは、「学童に通う子供たちは、日常生活の中で新しい出来事に接する機会が、他の子と比べて圧倒的に少ない」と指摘する。学童にアーティストを派遣し、ワークショップなどの活動をともにすることで、子どもたちは日常では得られない体験を楽しむことができる。同時にアーティストは、アート活動を通して生活の糧を得られ、普段は入ることのない地域社会の現場で実践ができる仕組みになっているという。

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(学童で開催されたワークショップ・取手アートプロジェクト提供)

この2つの企画は、行政による緊急のコロナ対策の財源によって実現した。羽原さんは、「行政の予算がなくなった後も、今回の経験を、どのようにTAPの中に根付かせていくか」が今後の課題だと話す。今回得られた知見を元に、市民やアーティスト、行政をつなぐ活動を継続的に行い、協働体制の強化につなげたい考えだ。

今後の展望

今後のTAPの展望を伺うと、「アーティストがパートナーになる現場を増やしていきたい」と力強く語った。これまでほとんどの芸術家は、作品を制作して販売するか、教員として美術を教えるか、あるいはアルバイトか、という限られた方法でしか、収入を得られなかったという。羽原さんは、「表現活動を通じて生活の糧を得る選択肢」を増やそうと、取手で実践しているのだそう。

企業や団体の中には、アートに興味はあるが、「アートを自分たちの事業にどのように取り入れていいのかわからない」というケースが多いという。話を聞いたたいけん美じゅつ場(VIVA)も、市やアトレ、JR、東京藝術大学というステークホルダーがともにアートを囲む事例の一つだ。地域社会と地続きの場所にどうやってアートへの接点をつくるかを考える対話の相手として、TAPが運営を受託しているという。また羽原さんが最近関わった事例では、障がい者の福祉施設に陶芸家や染色作家をつなぎ、利用者とともに陶器制作や布の染色ワークショップを行った。施設の職員が普段自前でやってきたことにアーティストが伴走すれば、できることが広がると感じたという。

行政や大学、民間企業など、アーティストと一緒になにか活動したいと考えている人たちは多く存在している。「それぞれが幸せな形で各自の実現したい目標を達成できるように、一緒に走れるようにするための調整役を、TAPは担い始めている」と感じているそう。

羽原さんは、今後その役割を強化し、これまでになかったコラボレーションを生み出すことを目標にしている。そうすることで、行政や企業などさまざまなパートナーの目標を達成しつつ、アーティストの新たな収入の仕組みが作れるはずだという。

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まとめ

市民が中心となり、街に住むアーティストの力を引き出しながら街の豊かさを生み出そうとする取手アートプロジェクト。「日本の縮図」ともいえる取手の団地から見えてくるものは、アートの力によってエンパワーされた人々の尊重しあう姿だ。

羽原さんが力を入れているアーティストの支援事業は、これまで経済的な尺度の影に隠され、見過ごされてきた別の尺度に光を当てる活動にも見える。人口が減少し、経済的な発展を楽観視できない日本の地方都市にとって、尺度の変更は必然かもしれない。アートはすべてを解決できる魔法の道具ではないが、大切に育てることで、経済的な尺度の外側にある、異なる価値観を教えてくれるかもしれないと感じた。

(文:久永)

ART ROUND EAST(ARE;アール)とは?

東東京圏などでアート関連活動を行う団体・個人同士のつながりを生み出す連携団体です。新たな連携を生み出すことで、各団体・個人の発信力強化や地域の活性化、アーティストが成長できる場の創出などを目指しています。
HP:https://artroundeast.net/
Twitter:https://twitter.com/ARTROUNDEAST

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