見出し画像

再び,禅画を眺めつつ,「多様性」について考える

人はどうして争うのだろう。

相手の立場に立ちましょう,他人の悪口は言ってはいけません,多様性を大事にしましょう…
そんなことを学校では嫌というほど教えられたのではなかったか。

ところが大人になると,組織の中で競争を強いられ,同業他社と比較され,失敗する者は責め立てられ,能力が低い者は追い出され,自分の思い通りにならないと力でねじ伏せられ…
そんなことが当たり前のように行われるのが現実の社会です,残念ながら。

一方で,「男女平等」「障害者差別禁止」「児童虐待禁止」などが叫ばれ,最近では組織運営上も「多様性」「ダイバーシティ」が推奨される。これらの考え方は全て「自分と異なる者を受け入れましょう」ということだろうと思います。

きっと、人は放っておくと、「自分と異なるもの」を排除しようと,本能的に争ってしまうものなのでしょうね。だからこそ声高に叫び,法令で禁止しないといけないのでしょう。

うん,わかってるんです,自分と異なる人や考えを排除しようとすることが悪いことだとは。社会全体のことや組織全体のことを考えれば,また,自分の将来を考えれば,いけないことだってことは,多くの人は,頭ではわかってるんですよね,きっと。

頭ではわかっているけれど,何とも「自分と異なるもの」が許せない。頭に血がのぼり,イライラする。

瞬間的に頭に血がのぼったときには「アンガーマネジメント」,つまり「怒りのコントロール」が効果的という話も最近よく聞きますね。
「いーち、にー、さーん…」と,5〜6秒,ゆっくり数を数える,とか,とにかくその場から一旦立ち去る,とか,丁寧な言葉遣いで話すとか。

こんな掛け軸はいかが?

そして,誤った行動や決断をしないために,日頃から部屋にこんな掛軸を掛けておく,というのもいいかもしれません。

画像1

前回の記事「「禅画」がアートだとわかると…」でも紹介した,禅宗のお坊さんである仙厓義梵(せんがいぎぼん)が江戸時代に描いた《円相図》(福岡市美術館蔵・小西コレクション)です。

この《円相図》の賛(添え書きの文章)によると

この円相は,仏教,儒教,老荘思想や神道を含み込んだもので,それぞれの教えの違いは,円相の中の模様に過ぎない

というようなことが書かれているそうです。(福岡市美術館発行『仙厓ー小西コレクション』16頁より)
そんなことを考えながら改めて見ると,この円が地球に見えてきました(私の感想です)。様々な人種,様々な生活,様々な思想があるけれど,みんな地球という惑星の中に住んでいる人間なんだ、と。

前回もご紹介したように,後に仙厓さんは,この悟りの境地を表す円相図を饅頭に見立て、「お茶でも飲みながら召し上がれ」という賛を入れた《円相図》(福岡市美術館蔵・石村コレクション)を描きます。ついでに,今ではこの《円相図》を包みにプリントした「これくふて 仙厓せんべい」(石村萬盛堂)というお菓子もあります。美味しいです♪

多様性を大切にする生き方というのは、何も小難しいことではなく、饅頭を食べるように自分の中に取り込めばいいんだよ、と私たちに語りかけているようです。
「食」という生きていくうえで欠かせない行動の中に多様性を取り込む、という意味合いもあるのかもしれません。

多様性を受け入れることを実践した仙厓さん

そうは言っても誰しも何かしらのグループや組織・団体に属してるので、ライバル的なグループの考えをやすやすと受け入れる,というわけにもいかないでしょう。仙厓さんだって,禅宗のお坊さんなんだから,例えば他宗派の思想にはちょっと否定的だったりするんじゃないの〜と思うかもしれませんが,なんと仙厓さん,こんな書も書き残しています。

画像2

なんと,禅宗のお坊さんが,「南無阿弥陀仏」と書いている書《六字名号》(小西コレクション)があるのですよ。「南無阿弥陀仏」というのは,「浄土教の教主である阿弥陀如来に対する帰依を表明する名号」であり「故人を供養するために仏壇などに掛けられたと想像される」ものです。(前出『仙厓ー小西コレクション』53頁より)
どうも仙厓さん,町人に「仏壇に供えるので「南無阿弥陀仏」と書いてくれ」と頼まれ,「ああ、いいよ」とあっさりと請け負って書いたものではないか,とのことです。浄土教を信仰しながら禅宗のお坊さんに揮毫を頼む方も頼む方ですが,いわばライバル宗派の名号(仏・菩薩の名)を簡単に書いて渡す仙厓さんもとんでもないですね。

禅宗に属していながらも,「人の幸福」という大きな目的の前では宗派の違いなど関係ない,宗派が違っても自分を慕ってくれたことに応えてあげることが今必要なことだ,と仙厓さんは思ったんじゃないかと思います。

小さな主義主張にこだわらず、相手の立場に立ち、お互いが大事にするものを否定せず、多様性を認め合う。仙厓さんの作品は、今でも私たちの生きるうえでの道標になってくれているように思います。