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ボッティチェッリと『風神雷神』原田マハ

物語中に出てくる板絵ってこんな感じ?
Ciao!! フィレンツェよりチヅです!

オンラインセミナーに関連したお話のひとつとして、
今回は”モノ”としての絵画。

あまり書くとネタバレになるので物語の詳細はこちらをどうぞ。
『風神雷神 Juppiter,Aeolus』原田マハ著

冒頭にミステリーのきっかけとして出てくるのが、
あまり大きくないサイズらしい板絵…。

そもそも絵画は二次元上に表現され、
それを遠近法なりのイリュージョンによって鑑賞者は実際にない風景や人物を知覚する装置とも言えますが、
(現代美術はそこに手を加える場合もあったりるのは別として)
そこには色面があり、色彩表現を可能にするピグメント、
固着させる為の膠や卵、丹念に作り込まれた下地、、、
現実の物質世界が広がります。

物質世界には、まず支持体が必要で、
それが壁だったり、布や石、
ここでは板絵。
実際に自分で油絵などをやった事のある人であれば想像できると思いますが、
普通は支持体まで作品鑑賞の時には気にしないものかもしれません。

モノとしての絵画作品。
今回の投稿の二組の絵、

『オロフェルネスの遺体発見』『ユーディトのベトリア帰還』サンドロ・ボッティチェッリ


『ヘラクレスとヒュドラ』『ヘラクレスとアンテウス』アントニオ・デル・ポッライオーロ


全てウフィツィ美術館の一つの部屋にあります。

有名な『春』(ボッティチェッリ)の一つ前の部屋で、
時間の都合で私もガイドとして飛ばす事もよくありますが、
こういう小さめの作品、小さな板切れがとんでもない輝く宝だと、
物語中の人物が何よりも感じた事なのではないでしょうか。

ちなみに、
『春』は板絵で
『ヴィーナスの誕生』はキャンバス画です。
真正面から近視的にその違いを比べて観察してると、、、
きっと、あなたも私と同じ挙動不審者…!!🤣👍❤️



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