私の絵画スタイル遍歴 写すことを乗り越えて
初めまして、画家のハセガワです。作品を出来るだけ多くの方々に見て頂きたくnote を始めました。
画家生活はかれこれ四十年近くになります。若い頃は本質的な問題より描写技術ばかりに気を取られ目先を変え迷い続けてきました。こんなフォトリアル・アクリルもその中のひとつです。
色々な様式・技法を試した末、元々の志望で美術大学の専攻でもあった油絵・西欧絵画に戻ることでいったんは落ち着くかに思えたのですが、、、
しかし何かが足りない。深いところで自分に結びついた土台がない。そこで、好きな西欧文学の世界をテーマにしようとプルーストの「失われた時を求めて」にすがりました。その理由は独創性を狙えば、誰も手を着けないものが良いと思ったからです。
そのようなものは案の定たやすく絵になるものではなく、今度はテーマで使うモチーフから入ろうと波を描くべく近郊の海岸へ取材に行ったのです。携帯用椅子に座ってボーッと波を見ていた時でした、突然、思ったのです。この波は地中海? 西欧文学を西欧絵画で描く、違う! 日本の海、波と言えば壇ノ浦、平家物語、ここは日本だ、お前は日本人だ。
恥ずかしながら高校時代、古典はサボってばかりでろくに勉強したことがありません。興味も持っていなかった。なのに突然平家物語です。自覚できない深いところで何かが染みついているのです。
いったん気になり出すと、吸っている空気の湿り気、空の色、野の花、飲んでいる水も食べ物だってみんな西欧とは違います。この現実を無視した制作はない。
見る絵も、聴く音楽も、読む文学も日本に、それも古い日本に、まるで反動保守の様に変えました。その当初読んだ東京大学出版の日本美術史全巻は様々な意味で参考になりました。美術と言うのは西欧の影響で明治期にできた言葉でした。思えば美術よりも日本の「美術」は永い伝統を持っています。博物館・美術館で絵を見ることが、何も茶室の床の間に絵を掛けることより進んでいる分けではありません。
日本を思い出した新しい出発で決めたのは独創性を目指さないこと。テーマは古典文学にしました。そのわけは私達が描いて来たものだから。乱暴に言えば何を描くか自分では選ばない。様式も技法も同じです。日本の伝統にあるものの組み合わせです。新しいものは何もありません
このかたちになって10年あまり、その中で変化もありました。そのあたりや具体的な技法についても少しずつ書いて行きたいと思います。
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