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スカートとピンクと女の子らしさと呪いの話


小さい頃、「女の子らしく」するのが嫌で、スカートとピンクを拒絶していたことがある。

「女の子」として扱われるのが嫌で、一人称を「俺」にしたし、綺麗な言葉遣いではなく荒っぽい言葉遣いを意識的に使った。

ささやかな、けれど確固とした抵抗は、長い間母を煩わせ、今でも尾を引いている。




――今回は、そんな話。
なんか無理そうかも、と予感がしたら閉じてくれ。
読み進めるのは自己責任で。

戻るなら今の内だ、心の準備はよろしいか?







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最初のきっかけが何だったか、というのは覚えていない。

ただ、ある時期から「女の子」扱いされるのを非常に嫌がった。

ピアノの発表会はスカートやワンピースは頑なに拒否したし、新しく洋服を買ってもらう時も少しでもピンクが入っている物は候補から外した。
(タグに入っているのも駄目だったらしい。)

「そんなん」だから、母は苦労したと思う。
今となっては申し訳ないことをしたと思わないでもないけれど、私が「女の子らしく」しないことで色々言われたり思うところがあったりしたと思うから。

如実に感じたのは何だろう、やはり父の実家だろうか。
父の実家は所謂古い家で、末子である父の嫁である母は、いつまで経っても「お客さん」だった。
祖父は私が生まれる前に亡くなっていて、父の実家は、祖母と、長男である伯父夫婦とその息子(従兄弟)2人で住んでいた。
正月に集まると、食事の用意は全て伯母がしていて、先に食べている親族に混じって伯母が食卓につくのは、いつも料理が少し冷めた頃だった。
片付けは私や姉は手伝わされるのに、母は伯母に座っていていいのよと言われていた。
そういう家で、父はそこで育っていて、母は居心地が悪そうなのを押し隠していて、反発したかったのもあるのかもしれない。

祖母の神葬祭の時、私は喪服にワンピースや黒のスカートではなく、パンツにシャツ、黒タイを締めた。
大学生当時、然程スカートとピンクへの拒絶は酷くはなく、車での移動時間とか祭の長さとか冷えたくないなぁとかを考えると現実的に楽な方がそうだったからそうしただけなのだけれども。
母には家を出る直前まで「本当にその格好で行くの?」と執拗に確認した。

悼む気持ちがあれば格好はさして重要ではないのだけれど、母は私が「そんな男の子みたいな格好して」と言われるのが嫌だったのだろう。
「何故ちゃんとした格好をさせないのか」と遠回しに責められるような心地だったのだろう。

前述した通り父の実家は古い家だから、私の格好を見た親族はそれはまあ予想通りの反応をした。
髪が短かったのも相俟って、遠巻きに見ればフツウに男の子に見えたのだ。
「私ちゃんだったの?」と。「何でそんな格好なの?」と。
母の曖昧に笑った顔は今でも思い出せる。

仕方のないことだとは理解している。
父も母も「普通に」生きてきた人達で、私が抱えていた私でも分からない「女の子らしくすることに対する嫌悪感」など微塵も理解できないのだから。
私だけが我慢すれば全て丸く収まった、筈だった。

嗚呼けれど、雁字搦めに「スカートとピンクに対する女の子らしさ」に、どうにも我慢できなかったのだ。
呪いのように、それは私の中に燻り続けているのだ。

何がそんなに嫌だったのか、何をそんなに否定したかったのかは未だに判然としない。

けれども最近になって思うのは、

私自身が「スカートとピンク」に「女の子らしさ」を押し付けていたのではなかろうか。

……ということ。

押し付けられるのを嫌がっていた当の本人が、イメージを押し付けていたのだから笑えない。

結局、形のない概念に縛られていたのは私の方で、私が私自身に呪いをかけていたのだ。


御伽噺のように呪いは突然解けた訳ではない。
ロングスカートとか、ワンピースとか、濃いめのピンクとか、「私」に似合うものから試して私がそれを気に入る所から、解呪を始めてみた。

そのきっかけも定かではないが、なんかもうそろそろいいかな、みたいな、拒絶するのに飽きてきたような、どうでもよくなってきたような、そんな気持ちからだったと思う。

呪いの後遺症、みたいなものは残っているような気がしないでもないが、今は普通にスカートを履くし爪をピンクにする。
その都度母に「珍しいね」と言われ、何とも言えない気持ちになる。

多分、呪いは私よりも母を蝕んでいるのだろう。
こんな風に書き出せる私よりも、無意識に強く刻まれてしまっているのだろう。
未だに私に対して妙な気遣い(ピンクは嫌だよね、とか)を見せる辺り、拒絶していた幼少時の私が上書きされていないのだろう。

それを疎ましく思わないと言ったら嘘になるけれど。

他にもこういう呪いはあって、ひとつずつ、少しずつ解いていければ良い哉、とは思う。

強く在りたい訳ではない。
私は、自由でいたいのだ。
何物にも縛られず、何者にも囚われず、自由で在りたい。

重くのしかかっている主たる呪いの内、最初に解け始めたのは「女の子らしさ」という概念だった話。でした。


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