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底辺が恋愛を意識すると直面する深刻な問題

今回の記事は、前回の記事の続きです。二階建て新幹線が姿を消すというので乗ってきました。このThank youの塗装最高ですね。

なお今回の記事はそんなに快い内容ではないかもしれないと、はじめにことわっておこうと思います。机の上で私ごときの人間が頭だけで考えたことですので、まぁ最後まで読んでくださった方も真に受けないでください(笑)

前提とすること

女性は、他よりも優れている男性をより好む。私はこのことを前提に恋愛というものに向き合っています。注意すべきは私がここで自分勝手にそのように前提とする、仮定するだけで、女性が男性を優劣づけているといって女性をひとくくりに非難したいのではありません。

自己評価が比較脳に陥る

自分が相手(女性)にとって価値のある人間であろうと考え、優れた男性を選ぶ相手の視点を前提に自分を捉えると、必然的に他の男性と自分との比較で、自分を評価することになる。お相手をしてもらう女性の視点を自分が取ることにより、比較して優劣をつけるという考えを内面化し、自らの評価に当てはめてしまう。強調したいのは、女性たちにそのような比較の目で見られ続けることというよりは、恋愛に力を入れ自分を向上させようと考える自分自身が、自分に対して他人との優劣で評価をしてしまうということです。

底辺は悲惨

私は恋愛競争において明らかに底辺の人間で、それを改善したいと思っているために、女性の立場から自分を捉えようと考える(ここの「女性の立場」とやらが私の勝手な偏見を含むことには注意すべきです)。そして女性たちから見て私が他の男性よりも優れていなければならないと考える。そうした比較脳で他の男性ほど女性にうまくリーチできていない自分を捉えると、他の男性と比べ自分は劣っているという評価を下すことになる。私は個人的に、恋愛というこの厳しい世界で戦いに参加する限り、この他者との比較という病理から逃れられないのだろうと思います。

身体に組み込まれたプログラムが元凶である説

以前私はこの病理から逃れるべく、性欲を満たす可能性のある相手として女性を捉えることから解脱する(=男として女性をみなす、下心を無くすといってもいいかもしれません)ことを考えました。そうすれば、それを満たしてもらおうと必死になり、比較軸を自分が勝手にとって自己肯定感が下がることを回避できると考えたためです。ただ意識をそのように変える、なるたけそういう欲から離れるようにしたところで、体に組み込まれたプログラムに勝つことは相当に難しいらしい。男である以上、自分の行動や意識を傾向づける体のプログラムに従わざるを得ないというのは、誰しもが直面する問題なのでしょうか(これも男性に対する私の勝手な偏見な可能性があります。)恋愛という領域に手を出しては失望してあきらめたくなりながらも、自分の性(サガ)として必然的に恋愛というものを意識するように引き戻され、また苦しむことになる。

恋愛におけるプレーヤーの流動性は低い

こうした苦しみのループになると私が考える理由として、恋愛競争で弱者から強者に努力によって成り上がるのは難しいという考えがあります。つまり、弱者はなんらかの変えられない特徴が原因で、どれだけ競争に参入しようが負けるように運命づけられているという想定です。現実をもっと客観的に見れば、努力でモテるケースのほうが多いのかもしれません。あくまで私がたまに悲観的になるときに、このような思い込みをしているというだけだとご理解ください。

まとめ

ごちゃごちゃ書き走りましたが、どうでしょう、共感してくださる方いらっしゃるのでしょうか(?)。ひたすらに自分のある種の諦観のようなものを描写した形になってしまったでしょうか。100%上のように考えて、すべて諦めてしまっているわけではなく、自分ができる範囲で良い男になっていく努力はしていこうかと思っています。変な文でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。

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