今でもサイゼやマックでいいよ
いつ死ぬかわからないから会いに来た。そう言ったら笑いますか。
名古屋には高校時代の友人が2人、大学時代の先輩が1人住んでいる。
9月某日
高校時代の友人に会いに藤が丘駅へ。指定された時間まで時間があるので、商店街を歩く。ミスドの3軒くらいとなりにまたミスドがあって混乱してしまった。お腹が空いている僕の幻覚のようだったが、間違いなくミスタードーナツは2つある。
高校時代と変わらない笑顔でこちらに向かってくる友人を、ほんとうに愛おしく思う。僕は彼の笑顔に何度でも救われてきた。彼は心の容量が大きい。怒っているのを見たことがない。でっかいモバイルバッテリーみたいな安心感がある。いつでも力をくれる。
思いのほか真面目な話になった。仕事の話、今後の話。毎日岐路だなと思う。そういえば、実直に自分が仕事をやめた理由の話を同級生にできたのは初めてかもしれない。
6月某日
広瀬通にある戦災復興記念館の入口でへたり込み、動けなくなって涙を流していた。夜の23時。もう一歩も歩ける気がしなかった。心が壊れたと思った。それは本当に早すぎる、新社会人生活2ヶ月での挫折だった。
がんばるための糸が音もなくぷつんと切れていく。あまりにも泣きすぎて、帰れそうになくて、母親に電話をして迎えに来てもらった。母は、とんでもなく泣いている息子をどう思ったのだろう。
「もう会社行きたくない」「無理かもしれない」「人生を間違えた」「どうしてこうなっちゃうんだろう」と、後ろ向きな言葉がとめどなく溢れる。溢れた言葉を耳で聞いてさらに情けなくて泣いてしまう。
母は車を運転しながら、助手席で崩れ落ちている僕に、あらゆる手段で「大したことないよ」を伝え続けてくれた。
6月某日
次の日は午前休になった。なんとか身体を起こし、12時に間に合うように会社に向かう。本当に行きたくなかった。それでも、色んな人の顔が目に浮かんだ。どうしようもない自分を拾ってくれた社長、お世話になった上司、関わりのあるクライアント、そして、大したことないよをあらゆる言葉で伝え続けてくれる母。
会社と話し合いをして、元々の試用期間でもあった7月末をもって退職することになった。退職が決まってからの1ヶ月は、さらに無気力になり、自分が自分でないような感覚をずっと抱えてしまった。壊れた心と切れた糸がいつまでも元通りにならない気がして怖くなった。
8月某日
結局、遅刻も欠勤もしないまま、3ヶ月だけの新社会人生活は終わった。振り返ると大したことがなかったようで、毎日涙を流して、言葉を失って、吐き気がして、思考が止まって、自分をぜんぶ失ったような3ヶ月だった。
なぜそうなってしまったのかの原因を求めるとだいたい自分に行き着いてしまう。逃げ場がなくなって、自分はなにもできない、無能だ、社会人として生活ができるはずがない、のようなマイナスな言葉がいくつも浮かぶ。
8月某日
後遺症は残っている。自己肯定感は取り戻せていない。それでもまともな生活や、まともな自分をはやく取り戻さなくてはならないと、仕事をやめた直後は本当に焦っていた。まともな生活とは一定の収入やスキルを要するからと、縋るような思いで色んなものに手を出した。
ぜんぶが地に足がついていないことを悟ってからは、自分の甘さや浅はかさに打ちのめされた。そんな暇はないのに。
認知行動療法といくつかの精神疾患に関する資料、そして同じような状況に陥った人たちの文章を読み、今の自分にとって何が有害で何が有益かを知識として得て、できるかぎり有益な情報を実践できるように努めてから、少しずつ気持ちが回復してきた。もちろん、いつも正しい行動を選べることはなく、「認知の歪みの10類型」に当てはまる思考や行動をしてしまうことがあるが、自分がやっていることがよくないことであることを、知識として知っているだけで非常に楽になることを知った。
9月某日
色んな友人と会って話をする。お酒があると自分をいささか誇示したり偽ったりしてしまうから、今でもサイゼやマックでいいよ。今の自分をちゃんと伝えたい。
でもお酒はすごい。毎日お酒を飲んでいたいなと思うくらいには。サイゼやマックや笑笑やガストや魚民や、なんでもいいよ、話をしよう。
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