成れの果て

遺伝的に下戸である僕は、酒を飲むことが大学生の本分である、と息巻いている同級生を見下しつつも、自尊心や性欲から、また、自分は利発でユーモアがあるという大いなる傲慢さから、飲み会という場を自分勝手に楽しんでいた。その日も、うんざりするほど甘い炭酸飲料と微かに解熱剤の味のする安いウーロン茶に辟易しつつも、場の女の子たちの注目をまずまず浴びられたことに対する満足感を感じながら、自宅の最寄り駅にたどり着いた。

僕の家は、たいていの町がそうであるように、東京都のベッドタウンであることを除いては特段特徴のない町にあった。駅周辺こそ飲食店や駅ビルなどで賑わってはいるものの、少し離れれば、20年前に栄えた商店街と、それにしがみつくようにして広がった住宅街のある静かなところだった。

時刻はちょうど日をまたぐかどうかという頃合いだった。年が明けてからまだ日も経っておらず、外気はぱっきりと冷え切っていた。僕は、飲み会で出会った女の子に送る最初のメッセージをぼんやりと考えながら、愛車のスクーターが停めてある高架下の駐輪場を目指して歩いた。こんな時間にもかかわらずスクーターはたくさん止まっていて、まるでうつむきながら歩く就活生の集団のように個性が無く、いつものように自分の愛車をみつけるのに時間がかかった。

夜のしじまにエンジンを響かせ、真冬の深夜を快調に飛ばした。経験したことがあればわかると思うが、冬に乗るバイクは寿命を縮める。目は涙ぐみ、体中の筋肉を震わせながらそれに耐えなければならない。裸で真冬にバイクに乗るか、アマガエルを踊り食いするかという選択を迫られたとしたら、それなりに逡巡するかもしれない。そんなことを考えながら空を見上げると、老星ベテルギウスがちかちかと、何かを警告するように赤い光を明滅させていた。

自宅まであと数百メートルといったところに、母校の小学校沿いに片側一車線の直線道路があった。車道の両側を歩道がはさんでおり、御輿やパレードにでも使えば様になりそうなくらい見通しのいい通りになっている。幼少期から見慣れたその直線道路に差し掛かったときのことだった。

歩道と車道との境目には等間隔に電灯が並んでいるが、進行方向右側の電灯の1つの真下に、フード付きパーカーを着た若い男が立っていた。男は僕に背を向け、進行方向側、つまり道の先からこちらを見ている誰かから隠れるように電灯の手前側に立ち、顔だけ車道側に少し倒した体勢で、微動だにしていなかった。まるで悪さをした子供が大木の後ろからおそるおそる現場を覗き見ているような格好だった。

どこからどう見ても異様な光景だった。付近には灯の消えた住宅とだんまりを決め込んだ巨大な校舎しかないのだ。真冬の深夜にまともな人間が行うことではない。そして僕は、自宅にたどり着くためにその男の脇をスクーターで通り過ぎなければいけないのだった。今考えれば引き返して別の道を遠回りするという手もあったのだろうが、その時の僕は吸い寄せられるようにその道に突っ込んでいった。

ハンドルを握る手には、スキー用手袋の下で冷や汗をかいているのがわかった。もう対象まで数メートルしか距離はないが、数秒前から僕のスクーターのエンジン音は聞こえているはずなのに、その男はやはり、身体のどの筋肉も動かしておらず、風が吹いても髪一本動かないだろうと思わせるような完璧な静止状態を保っていた。通り過ぎる瞬間、僕は振り返りたい衝動をなんとか抑えた。直接正面からその男を見ることを、上気する上半身の筋肉すべてが拒んでいた。かといって、ミラー越しに確認しない勇気もなかった。急に全速力で追いかけてこられたら、急にその場で倒れられたら、と、孤独な夜の想像は異様な事態でどんどん飛躍していった。男はちょうど電灯の真下に立っていたため、顔の部分は真っ暗な影となり、ミラー越しには輪郭程度しか確認できなかった。想像はいい方向に裏切られ、僕が通り過ぎた後も、姿勢を変えることなく男はただ電灯の後ろに隠れ、こちらを見ていた。だが、少し平静を取り戻しつつあった僕がようやく視線を正面に戻したとき、さらに目を疑う光景が待ち構えていた。

今度は進行方向左手の電灯直下に、フード付きパーカーを着た女が、手前にいた男と車道に対して線対称になるような姿勢で(実際の位置関係は男が手前、女が奥ではあるが)、同じように進行方向を向いて電灯に隠れるように立ち、車道側に首を傾けていたのである。

つづく



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