SDGsに見る教育の怖さ
大人の価値観を子供に押し付けて、「大人が喜ぶ」という理由で子供が行動するようになる教育は怖い。
SDGsはご存知でしょうか?SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」で、17の目標、例えば「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる。」や「ジェンダー平等を達成し,すべての女性及び女児のエンパワーメントを行う。」などを掲げてます。
とても素晴らしいことです。子供にもいつかそういう意識を持ってくれたらなとは思います。
一方で最近、SDGsと教育を関連付ける情報が散見されますが、それは意義があるのでしょうか。
子供の年齢や発育、社会環境、周囲の環境などによって、教育としてのアプローチが大きく変わるように感じています。
SDGsを知ることは素晴らしいです。でもその大前提は「大人が価値観を押し付けない」場であることです。特に初等教育において。
子供たちの考えるきっかけとして、恣意的なナビゲートもなく、子供たちがどんな結論になっても否定することなく、あるいは大人が喜ぶ結論だからと称賛することもないのであれば、いいと思います。
でも、SDGsで大人の価値観がにじみ出ないように、子供が空気を読まないようにするのが難しい。
子供が大人の価値観に迎合するのではなく、自分たちで調べて思考することこそが大事です。
アナーキーな考えになろうと、青臭いことをいおうと、アホな結論だろうと、いいじゃないですか。
自我が確立してない、自分と他人、自分と社会との関わりが未成熟な子供が、自立して(自らの意思で)持続可能な開発目標について考えられるでしょうか?
僕が中学生や高校生のときを振り返っても、そんなことよりも部活(野球部)や遊びに夢中でした。
ホットドックプレスで北方謙三が「ソープに行け!」と語るのを読み、盗んだバイクで走り出して夜の校舎窓ガラス壊してまわる歌を聞き、山本太郎がメロリンQなときに、SDGsなんて言われてもピンとこないと思うんです。
他人の価値観をトレースするのではなく、自調自考し、通説をときに疑い批判的に物事を捉え、自立・自律していくこと。
それこそが教育の目的であり、崇高な概念であるSDGsといえども、それを壊すべきではない。逆に目的に沿っていれば素晴らしい教材の1つとも言える。
...ただ、実は環境にもよります。普通に生活するだけでSDGsと真逆の価値観を周りの大人に擦り込まれる環境(人種差別が日常的にあったり)、それが世界では残念ながら一般的かもしれませんが、そういう場では価値観をリセットするためにもSDGsを学ぶことは非常に有意義だと思います。
ただ、いまの日本ではどうなんでしょう?もし「子供がSDGsを語るとかっこいいよね」とファッション感覚で価値観を押し付けるようであれば、大人のエゴでしかない可能性も大いにありえます。
思春期も落ち着きだす高校の後半や大学で、じっくりと取り組めばいいんじゃないかな?とも思いますね。
(#5 ジェンダー平等を実現しよう は日本で早めに触れた方がいい価値観だと思う)
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