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民衆芸術の多様性について考える-みんぱく「ラテンアメリカの民族芸術」

 4/16(土)に国立民族学博物館で開催されている特別展「ラテンアメリカの民族芸術」を訪れた。また、同日行われた第532回みんぱくゼミナール「記憶と抵抗のメディアとしての民衆芸術」と題した講演会・シンポジウムにも参加した。

展覧会の概要

 本展覧会では、ラテンアメリカの民衆芸術作品が国立民族博物館が所蔵する作品を中心に約400点展示されている。同博物館で2019年に開催された企画展「アルテ・ポプラルーメキシコの造形表現のいま」ではその名の通りメキシコに限定されていた対象地域を、今回の特別展ではラテンアメリカ全域に拡大した。また、「民衆芸術」という言葉が持つ意味をより明確にし企画・構成された。これらのことから、前回の類似したテーマの企画展から多様性や企画の完成度の点ではるかに進化を遂げたものであると言えるだろう。

「アルテ・ポプラル(arte popular)」

 ラテンアメリカでは民衆のつくる洗練された手工芸品を「民衆芸術(アルテ・ポプラル)」とよぶ。また、手工芸品を意味する「アルテサニア」という言葉も存在する。しかし、今展覧会では両者を区別せず展示している。ある種の手工芸品が「民衆芸術」と呼ばれるのはなぜか?どうして「手工芸品」ではなく「民衆芸術」を選んだのか?
 20世紀前半にメキシコとペルーで芸術振興政策が始まった。当時、政府が国民を高揚する文化の手段として各地の手工芸品に注目し、「民衆芸術」と名付け、芸術としての評価を確立しようと試みた。これを機に、芸術の一つのジャンルとして国際的に知られるようになり、その他のラテンアメリカ諸国にも波及した。一方で、上記のように民衆芸術を政策的に振興しなかった国では、この言葉はあまり浸透しなかった。「手工芸品(アルテサニア)」という言葉のほうがより一般的な表現であると考えられる。しかし、今展覧会では「民衆芸術」は作品を芸術的な価値が高いものとして評価したり、強調したりする場面でより使用されてきたという点から、作品を「民衆芸術」で統一して呼ぶことにしたのである。

民衆芸術の3つの意味

今展覧会は5つの章で構成されている。
第1章 民衆芸術と出会う
第2章 民衆芸術の誕生ーラテンアメリカ形成の過程
第3章 民衆芸術の成熟-芸術振興の過程
第4章 民衆芸術の拡大ー記憶と抵抗の過程
第5章 ラテンアメリカ世界の多様性
そして、今展覧会で注目した民衆芸術の概念の3つの意味、つまり異なる歴史過程から生まれた以下の3つの民衆芸術を、第2章から第4章で紹介している。
1)諸文化の伝統的な造形表現→第2章
分化混淆の歴史の中で多様な民衆芸術が誕生
2)国民の芸術→第3章
主に、上記で述べた芸術振興の過程
3)市民の批判精神の表現→第4章
20世紀後半のラテンアメリカの情勢を理由に政治的なメッセージを込めた作品がつくられるようになった。

この展覧会を訪れる予定の方には、この第2章から第4章の展示を特に楽しんでいただきたい。ラテンアメリカにおける歴史、外国人そして宗教の流入とともに変化する、作品の中のモチーフや媒体にぜひ注目してみていただきたい。

民衆芸術の多様性

今展覧会の実行委員長鈴木紀氏は、今回の特別展について以下のように述べている。

「民衆」ということばがつくからには、民主芸術には特定の集団の中で共有されているもの、すなわち文化があらわれているといえます。一方でそれは、時代の変化や異文化の影響を受けて、変わりゆくものでもあるのです。文化の多様性をはぐくむには何が大切なのか、ラテンアメリカの民衆芸術に触れながら考えていただければ嬉しいです。

鈴木紀(2023)『異なる歴史過程の併存が、民衆芸術の多様性を生み出している。』
国立民族学博物館友の会ニュースNo.278 公益財団法人千里文化財団

「変わらざるを得ず、変わったもの」、「意志でもって変わらずにいることが、生きることと同じくらい大変であったこと」。変化の裏には様々な動機が存在する。それを一色炭に「多様性」と定義してよいのかは謎だが、それによって起こる化学変化が存在することが芸術の興味深い点である。
 私が今展覧会で興味深いと感じたのは、ラテンアメリカの芸術作品には必ずと言っていいほど生き物が見つけられる点だ。絵画やオブジェは言うまでもないが、模様や石彫にも発見できる。また、絵画の中の人物や彫刻の生き物の表情も特徴的だ。「表情を作っていない」ように思われる。西洋絵画に登場する人物のように、観客に視線を向け笑いかけていたり、ポージングを取っていたりしない。ほとんどの絵画に登場する人物や神像の彫刻は、表情がリラックスしており、身振り手振りも自然そのものだ。まるで、こちら側が彼らの日常を覗いているような気持ちになる。
 言語教育が充分に受けられず言葉以外の手段で自分たちの現状や意志を伝達、継承していく必要があった社会でつくられる等身大の芸術作品はこういうものなんだなあ…と感じる。先ほども少し述べたが、芸術に関しては必ずしも技術や社会知能が満足である必要はない。それゆえに伝えたいメッセージが存在する、その葛藤が昇華され素晴らしい芸術作品が生まれる場合もある。彼ら、彼女らは「わ~、出来上がった作品すご~い!」で終わることを決して望んではいないだろう。講演会で鈴木紀氏もお話されていたが、これらが地球の反対側で起こっていることだからと言って、私たちには無関係な出来事で片づけてしまってはいけない。作品が美しいこと、かわいいこと、それに気づくこと以上に作品に込められたメッセージ、作品が生まれた時代への理解を探ろうという意識が、現代社会で謳われている多様性とは違う「多様性」の理解につながるのかもしれない。

作品(ただのゆるゆる感想です。)


まるで正反対なアルマジロ


ワナラグアという踊りで使用される履物。貝殻がたくさんついている。


レタブロ(箱型祭壇)。箱自体に描かれた背景と人形の遠近感が面白い。


すでに額縁に飾ってあるような縁の絵柄が素敵。どの作品も色彩豊かで、作品のコンセプトや表現方法に関わらず装飾的な魅力が抜群にあるところが大好き。建物に立体感がないのに、スピーカーや車には丁寧に陰影が描かれている点が何とも不思議である。 


この作品が一番印象に残っている。悪魔…こんなにかわいいのに…
作り手が想像する悪魔はいったいどのような存在なのだろう… 


(大森)靖子ちゃん!?ってなった。シンメトリーなモチーフの存在と俳一の仕方が何とも西洋的…でも色彩はビビット!センターに位置する男性のリラックスした姿勢と現代風な装いが興味深い。「仕事(労働)」をしていると思われることもポイントなのか…? 


風刺?モノクロで版画であることからもジャーナリズムの一種として流行した西洋の風刺画を彷彿とさせる。対話型鑑賞をしたら面白そう。 

詳細

開催期間:2023.3.9(木)-5.30(火)
場所:国立民族博物館 特別展示館
開館時間:10:00~17:00
休館日:水曜日

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