度し難い強みといとおしい弱み

どうやら私には、「これは自分にとって大切だな」と感じたことには必要な時間を十二分に確保し、かつ膨大な労力を投入できる異常なまでの「リソース配分力」があるようだ。

残念ながら「物事の本質を一瞬にして見抜く」といったような鮮やかな才気がなく、実は自分のことを凡庸の極みだと考えている。

だから、何かを為したいと考えたときには、まず何より多くの時間と労力を割かないと為し難いと考えている節があり、実際にそう行動することが多い。

ただひたすら時間とエネルギーの圧倒的な投入量で勝負しようという、愚純で何の工夫もないこの作戦は、とはいえ私の人生の様々な場面で発動され、実際に役立ってきた。

人には必ず強みがあり、その強みは異常であればあるほど成果が出やすい。

だから、卓越した成果を出すためには、自分が持つ強みに目を向けて、それを突き抜けた強みにまで尖らせることが効果的だ。

その人だけが持つ、異常性を帯びた個性的な強みのことを、私は最近「度し難い強み」と名付けることにした。

もはや意識して発揮するというレベルを超越し、そうしたいと願うわけでもないのについつい発揮してしまうような、救いようのない運命的な強みという意味合いである。

この「度し難い」という表現は、公けには言えないけれども密かに愛読しているアニメ「メイドインアビス」の登場人物の口癖から拝借したものである。
(※かわいらしい絵柄と思って安易に観るとトラウマ級の心的ショックを受けるリスクがあるので注意されたい)

元々人の強みを見出すことに愉しみを感じてきたのだが、単に「強み」と表現するよりも、「度し難い強み」と表現した方が、ドラマティックで物語性があって俄然テンションが盛り上がる。もちろん、ビジネスの現場でこんな表現を使うわけではないが。

では一方の「弱み」はどうか?

人には強みもあれば弱みもあるのだが、私が弱みを意識し出したのはここ数年のことである。

それまでは弱みについてはあまり深く考えたことがなく、ただ単に「忌むべきもの」「克服すべきもの」「強みの足を引っ張るもの」「成果を妨げるリスク要因」といった捉え方しかしてこなかった。

すでにある強みを生かした方がよほど成果を得やすく合理的なのに、なぜ日本のビジネスパーソンはとかく「弱みの克服」に走るんだろう。

最初に感じた疑問がこれで、実は弱みも何かの役に立つのではないかと考えた。

ビジネス視点で考えれば、弱みには目を向けず、強みに特化した方が合理的だ。
しかし、人生視点で考えれば、弱みから目を背け続けてきた人生と、弱みに向き合い続けてきた人生とでは、重みが違うのではないか。

克服できるかどうかわからないし、時間も労力もかかるが、弱みから目を逸らさず、向き合って少しでも改善しようと努力することで磨ける力があるのかもしれない。

もしかしたらそれは、忍耐力や自制心などといったいわゆる「非認知能力」なのかもしれない。
そしておそらく、弱みと向き合い続けることの究極の効能は、人としての器を広げ、人格を高めることではないかと考えている。

強みを活かすことでビジネスの成果を生み出し、弱みと向き合うことで人格を磨く。

これが数年前に到達した私の結論である。

しかしだからといって、皆がみな弱みの克服に走れば、個性がなくなり金太郎飴のように同質化現象が起こってしまう。

強みも弱みもその人の個性であることに変わりはなく、根っこは同じである。
同じ行動特性が、観点の違いによって強みともなり弱みともなりえる。

社交的で積極的な人は、光の当て方をかえると騒がしく、往々にしてぶしつけである。(もちろんそうじゃない人もいる。)

強みと弱みは表裏一体、太陽と月、光と影、コインの裏表の関係であるから、強みの裏には弱みがあり、弱みの裏には強みがある。

自分は成果につながる「強み」大好き人間で、強みこそがその人をその人らしくあらしめるものだと思い込んでいた。

しかし最近になって、「強み」よりもむしろ、人間の陰の部分とも言える「弱み」に無性に惹かれてきた自分がいたことに気がついた。

すべての弱みというわけではないだろうが、ある種の弱みには、人を惹きつけてやまない、放っておけないほどの強烈な魅力がある。

実は弱みの中にこそ、その人の人間らしさが宿っているのではないかと思い始めている。

人の弱みや傷に触れたときの、心に湧き起こるこのエモーショナルな情動をどう名付けてよいものか。
永いこと言語化できず、無意識のうちに感じ続けていたこの感情を、私は「いとおしさ」と呼ぶことにした。

愛おしく、いと惜しい。
いや、いと惜しいからこそ、愛おしいのか。

人には必ず強みと弱みがある。

強みは度し難く、弱みはいとおしい。

この世界は度し難く、だからこそ度し難い強みが求められるのか。しかし人を愛おしいという気持ちが、この度し難い世界をいとおしい世界へと変える唯一の鍵であるようにも思える。

繊細で気が弱い人ほど、ビジネスの世界では自信を持てず、遠慮して成果を出せなかったりする。
私はそんな人にこそリーダーになって人を育ててほしいと願う。その自信のなさや遠慮が、部下の心理的安全を高めるのではないかとも思う。

「度し難い強み」と「いとおしい弱み」を抱えながら人は生きる。その矛盾と葛藤に物語を感じ、私は今日も人を観察し続ける。

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