見出し画像

険しき家庭内ダイバーシティ

最近、娘の夜遊びに悩まされている。
といっても本当に苦しんでいるのは母親の方で、ステップ・ファーザーである私は心のどこかで他人事気分から抜けられていない。

義理の娘は、先日16才になった。

「フルーツ・タルトが食べたい」というので、誕生日にバースデーケーキを買って帰ったのだけど、肝心の本人がいない。友達と誕生祝いをするといって出かけたまま、結局夜になっても帰ってこなかった。
こういうことが最近続いていて、問題が起こる度に母と娘が話し合いをしたり、私も(よくないことに)中途半端に介入したりするのだけど、一向に改善される気配がない。

保護者である私の目から見ても、娘は美しく整った顔立ちをしている。性格も普段は物静かで大人しく、人を傷つけることはなく、友達からも慕われている。自分がそういう扱いを受けてきた経験からか、差別にも敏感に反応し、環境やダイバーシティといった社会的な問題への意識も高い。音楽やファッションに興味があり、流行に敏感な生徒が集まるインターナショナル・スクール内でも、独特のセンスでトレンドリーダー的な存在となっている。

一方で衝動的に行動したり、物事にルーズな面もあり、病院で発達障害の薬を処方してもらっている。我が家には4人の子がいて、それぞれがそれぞれに問題を抱えているが、思春期真っ只中のこの長女が今、我々を最も悩ます存在になっている。

イギリス人の父と日本人の母を持つ娘は、日本の学校に適応できず、小学校時代から都内のインターナショナル・スクールに通っている。インターは学費も高く、我が家の家計的には到底通わせることができない。

看護師であり英語圏での就労経験もある母親が、インターのスクール・ナース(保健の先生)として就職し、その福利厚生制度を使って娘を通わせることができている。
持てるリソースを最大限活用し、「もうこれしかない」という究極の一手で娘の希望を奇跡的に叶えた母親の智恵と苦労に、私はただただ感服するしかない。

今通っているインターは日本の学校と比べると自由な校風で、裕福な家庭が多く、生徒は都内全域から通ってきている。
今はスマートフォンさえあれば誰とでも簡単につながれてしまう時代だ。都内のカフェや公園には、各国のインターナショナル・スクールの生徒同士が集まる特定の交流スポットがあるらしい。娘は友達と遊びに出かけては、他のインターの新しい友達と交友関係を広げていった。

夏休みになって暇を持て余した娘は、「今日はフレンチ・インターの誰それ」「今日はブリティッシュ・インターの誰それ」と遊び相手を替えて連日出歩くようになった。

「母国に帰る誰それと会えるのは今日が最後だから」とか「誰それの誕生日だから」とか毎回もっともらしい理由をつけてくる。いったん出たら夜の21〜22時まで帰ってこない。

このコロナ禍で、親からすれば心配なことこの上ない。特に母親は、毎回ジリジリとした焦燥と不安に押し潰されそうになりながら娘の帰りを待ち、帰ってきたらきたで、たまったストレスを怒りの感情とともに娘にぶつけてしまうような悪循環を繰り返すようになってしまった。自分が学校関係者であり、生徒の健康面を管理するナースであることへの責務感も強いんだと思う。

母親が何度諌めても、本人は一向に反省している様子もない。コロナ禍なぞどこ吹く風である。
いや、コロナはさすがに気にしてはいるのだろうけど、1年以上も続けば我慢の限界ということなのだろう。

母親も万策尽きて、「本人はディプロマを取ってハイレベルな大学に行きたいみたいだし、夏休みが終われば課題に追われて遊びどころじゃなくなるよ」というかすかな期待と希望にすがった諦めの境地で見守るしかなくなってしまった。

娘の夜遊びはどんどんエスカレートし、「友達の家に泊まる」といっては朝まで帰ってこないことも増えてきた。
先日に至っては、朝まで帰ってこなかったと思うと、早朝になって「バッグを置き引きされた」と母親に電話で泣きついてきた。バッグには、夏休みにサマースクールのアルバイトで得た数万円の現金に加え、マイナンバーカードや家の鍵も入っていた。悪意ある人に渡れば、住所を頼りに家に侵入することもできてしまう。

家族総出で現場の代々木公園まで駆けつけ、財布に入れていたというエアタグを頼りに代々木公園中を探し回ったが、結局茂みに捨てられたエアタグが見つかっただけだった。

それで初めて知ったのだけど、代々木公園は私が想像していた以上に広大で、奥まで進むとホームレスが暮らすブルーシートの家々がたくさん立ち並ぶエリアもあった。中にはビニールハウスでできたしっかりとした造りの家もあり、玄関先にはアフタヌーンティを楽しめそうな瀟洒なテーブルセットまである。あとでネットで調べたら、その家にはホームレスの画家が暮らしているという。
驚いたのは、宅配便のドライバーが手慣れた感じで、ブルーシートの集落に宅配物を届けていたことだ。それを見て、世の中まだまだ捨てたもんじゃないなと、なんだかほっとする自分がいた。

我々が現地に着く前に、娘は友達と警察の力を借りてホームレスの尋問までしてもらったそうだが、結局目当てのバッグを見つけ出すことはできなかった。初めてのアルバイトで自分で働いて得た現金をこんな形で失い、家の鍵まで変えなければならない事態にまで発展し、さすがの娘も今回ばかりは反省して行動を改めるのではないかと思われた。

しかしそのわずか数日後の誕生日、娘は友達と出かけ、結局夜中の0時を回っても家には帰ってこなかった。スマートフォンの位置情報では、自宅の最寄駅までは帰ってきているものの、そこから一歩も動かないらしい。
電話してもつながらず、「もう無理。私の手には負えない」と妻が投げ出すようにため息を吐いたので、私が自転車で娘を探しに行った。
妻は、この一年学校でコロナを出さないようスクール・ナースとして前線に立って気を張ってきた。ちょうど明日から新学年がスタートするという極めて重要なタイミングで、母親の気苦労を顧みることなく好き勝手に振る舞う娘に腹が立った。

暗闇の中で目を凝らすと、川の土手に娘らしきシルエットが見えた。先日風呂場の排水口を真っ赤にして染めた長い髪が、暗闇の中でも赤く輝いている。隣には娘と同年齢くらいの男の子の影があり、何やら親密な雰囲気を醸し出している。ここ最近の夜遊びの理由をすべて察し、どうしたものかと手をこまねいていると、娘が男の子から少し離れて電話し出したので、近づいて声をかけた。

私に気づいて動揺する娘を落ち着かせて(逆に圧をかけてしまったかもしれない)、ママが心配しているからと家に帰るように促すが、「だったらなおさら家には帰りたくない。(男の子の父親が持つ)部屋が近くにあるのでそこに行きたい。家よりもそっちの方が安心するから」の一点張りで動こうとしない。

そんなことを言われ、私もショックを受けた。家がそんなに嫌なのか。まあ思春期・反抗期だもんなあ。これが健全なんだろう。私だって高校生の頃は家を出たくて仕方なかった。

でもやはり、真正面から「家より安心できる場所がある」と言われると、保護者として悲しい。

「朝になったら家に帰って電車で学校に行く。私はもうレスポンシブルな人間だから大丈夫。ママや**くん(私の名前)が思ってるほどテキトーじゃない。自分で責任取れるよ」と、今まで起こした問題をすっかり忘れ、反応的に自己正当化に走る娘をなんとか連れ帰ろうと、鈍い頭で必死に考え、「16歳はまだレスポンシブルな大人じゃないし、親の許可なく23時以降外にいてはいけない」という大人のルールの押しつけしか思い浮かばない自分を呪った。

本当はもっと強い言葉やずるい手も使い、やっとの思いで「男の子も一緒で、ロビーまでなら」という妥協点を見出した。でも家には絶対入りたくないと言い張る。ボーイフレンドも一緒でいいよ、と言ったけど「散らかった部屋を見られたくない」という。結構本気なんだなと感じた。先日代々木公園でバッグ探しを手伝ってくれたのもこの子だったらしい。

男の子は至って気楽な表情で「ハロー」と挨拶してくる。去年付き合ってたアメリカン・インターだかのボーイフレンドよりか幾分マシかもしれない。二人を自宅まで連れて帰る道すがらも、青春真っ只中の二人は楽しそうで、一時も離れたくない様子である。

家まで連れて帰ればなんとかなると思ったけど、結局娘は男の子と朝までロビーのソファで過ごし、部屋には入らなかった。相当な強情ぶりだ。私も妻も、当然寝つけない夜を過ごした。

朝になって妻が様子を見に行ったけど、まだ離れる気配もないらしい。もう電車も動いているし、男の子を駅まで送りたいという娘を制止して、ようやく家の中に連れ帰ることができた。

買ってきたフルーツ・タルトのバースデーケーキも食べたくないという。おそらく胸がいっぱいなんだろう。

娘は、結局母親が運転する車の中で、爆睡しながら学校へ行った。まだまだ自分の行動に責任が取れない子どもである。

娘が高校を卒業するまで、こういうことが度々起こるかと思うと気が重い。でも妻は、自分の子育てが失敗だったのかと自責の念にかられ、もっとつらいだろう。妻が負担を感じないよう、本当は私がもっと深く関与していった方がいいのかもしれない。

娘が大事にしている価値観やライフスタイルを、私は根本的なところで理解していないんだろうなと感じる。長年一緒に暮らしていても、私は結局娘と心を通い合わせることができないでずっともがいている。

娘からすれば、私は古い価値観をもった面倒臭い大人に映るのだろう。娘の視点から描かれた小説があったとしたら、私は、瑞々しさに溢れる日常を曇らせる、鬱陶しい存在なのだ。

でも本当に問題なのは、私自身が心のどこかで、「自分の血を引く子だったら、こんなことは決してしないだろう」と感じてしまっていることだ。
文化的背景も含め、価値観やライフスタイルが異なる人と共同生活を送るのはやはり簡単ではない。
「何で家に帰らないといけないの?」と執拗に反発してくる娘に、私は最後は「家族なんだから家に帰るのは当たり前だよ」で押し通した。彼女を家族として内包することで、私は多様性を受容する自分の許容範囲がいかに狭いかを常に突き付けられている。
真の家庭内ダイバーシティへの実現はまだまだ遠い道のりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?