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心のゆとりと自己確信

上の息子が久しぶりに日本に帰ってきた。オーストラリアの実父のもとで暮らすといって日本を離れてからかれこれ3年ぶりである。その間、一度だけ帰国したことがあったが、コロナの影響もあってここ2年ほど帰国することができなかった。

久しぶりに会った義理の息子は、かつての面影を残しながらも見違えるように背が伸び、手足もスラリと長くなってまるで少女漫画から飛び出てきたような好青年ぶりである。幼い頃人一倍世話の焼ける子であったが、ここまで立派になったのかと、改めて子供の成長力に目を見張った。

日光の強いオーストラリアだからこんなに育ったのか?ビオトープのメダカも水草も、太陽光の強い夏はものすごい勢いで育つし、太陽エネルギーが生命に与える影響は甚大なものがありそうだ。

思わず感極まって、自分の中にこんな感情があったのかと驚いた。むしろ実の母親の方が感慨深いだろう。成長期の我が子に2年も会えないなんて、母親からしたらどれだけ耐え難い日々だったかと思う。しかし、案外ケロリとしているので肩透かしを食らった気分になった。

帰ってきた息子は以前のように癇癪を起こすことがなく物静かになり、どことなくつかみどころがない。実母と実父がはるか遠い異なる国に住んでいることで、子どもたちも尋常ならざる苦悩や葛藤を抱えているんだろうと思う。

いちおう出国のチケットは買ってあるようだけど、予定通りまた向こうに帰るのか、このまま日本に居着くのかは、3年前と同様、彼の気持ちの赴くままといったところかもしれない。我が家はそんなふうに、比較的自由な家族形態である。

さて、12月だからというわけでもないが、以前受けた1on1セッションの動画を何気なく見返していたら、あれからちょうど一年経っていることに気がついた。せっかくなのでそのセッションを振り返りつつ、一年の時の経過がどのような変化や影響を我が身に及ぼしたのかを検証することにした。

最後まで見返したことはなかったけど、セッションで内省したことを録画データや逐語録から振り返るのは非常に効果的だと思った。むろん、セッション自体の質が担保されていることが前提ではあるが、改めて見返すことで再発見できることが多い。

受けた当初は狐につままれたような感覚があって、実はセッションを通して得られた気づきのほとんどを忘れている自分に気がついた。いちばん強烈だったビリーフシフトの部分だけはちゃっかり覚えていて、色んな場面で生きた臨床事例としても活用させてもらったりしたのだが、それ以外にも重要なメッセージがたくさん散りばめられているのに、自分の中ではほぼなかったことになってしまっている。

すっかり忘れていたのが、「自分が自分である」ために、「心のゆとり」と「自己確信」が鍵になるということだった。実はそういう結論を導き出すことができていたのだなと、そして改めて「心のゆとり」と「自己確信」という二つの切り口から今年を振り返ってみたら面白そうだと感じた。

そう思ってみれば、この二つが自分に少しずつ芽生えていった一年だったと言えるかもしれない。もちろん余裕がなかったり、揺らいだりするところは多くあったけども、そこをうまくチューニングしながら状況に適応したり、他者にフォーカスすることで「自信のなさ」を無効化したりしてきたんだなと感じた。

加えて、自分がセッションの中で話す言葉の印象がとてもフラットに入ってくることが、セッションを見返す効果だと感じた。これはセッションを受けている最中にはなかなか気づけないことだ。

例えば、「〜しなければならない」「〜すべき」「〜ではダメ」といった強い固定観念が入った言葉を多用している自分に驚いた。他人が聴いたらさぞ頭の固い人物だと思うだろう。どうもこの人物は、自分を許したり認めたりすることが苦手で、絶えず自己を厳しく断罪し罰し続けているように思える。そんなガチガチの言葉を発している自分に、もっと肩の力を抜いたらどうか、とアドバイスを送りたくなった。

そしてやたらと「器」を連呼している。人間としての器の狭さが強烈なコンプレックスになっているのが分かる。おそらくそれは今も変わっていない。

しかし、思った以上に内省できている自分もいて、自分事とはいえ、そこそこ感心した。「〜ですかねえ」とどうも他人事のような曖昧で頼りないニュアンスで発しているけど、誤魔化したり、繕ったりせず、しっかりと自分と向き合い、逃げずに内省し、偽りのない言葉で発していることだけは伝わってきた。

しかし狭さを感じる。
内省できているようで実は枠組みにとらわれている。
内省している自分を内省して初めて、今の自分をメタから俯瞰し、脱構築へと至ることができるのかもしれない。

「今の自分が囚われている偏った価値観や信念に一年後に気づけるとしたら、それは何か?」

セルフアウェアネスを高める上で、この問いを常に持ち続けることが有効ではないかと思った。

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