自分で自分が分からなくなった時のこと

ふと考える。自分は何になりたいのか?

具体的なイメージが出てこなくても。いつも思っていること。

気持ちよくなりたい。幸せになりたい。

それな。

根源的よ。

自分は何になりたいのか。

気持ちよくなりたい。幸せになりたい。

そういうこと。

「何をしているとき、気持ちいいの?幸せに感じるの?」

・・・

「じゃあ、いま、なにをしたらいいかな。」

・・・

…わかってるんだけど!しないんだよな!

「わかってるんだけど、しないのはなんでだろうか?」

考えてみた。

①実際、優先順位を高くしていない(なっていない)。

②あとで出来る、と思っている。

③やるけど「まずはリラックスしたい」と言ってやらないままになる。


①、②、③のどれかでしょう。

先に②、③を考えちゃうけど。この場合は、自分で意識して避けているので、チャレンジに向かう熱い動機を持つことができれば解決できそう、、かな??

①実際、優先順位を高くしていない(なっていない)場合の問題点:

じぶんでは「わかっている」と言いながら、実際は「わかっていない」状態である。

この中でもさらに区分できそう。

Ⅰ.本当は自分でも「納得できていない状態」に気付いていて、強がっている場合

Ⅱ.ガチで自分を見失っている。自分で自分の気持ちが良く分からない場合

の2つに分かれると思う。

Ⅰ.の場合は、よぉ~く内省して、自分が納得できる理由(動機)を見つけて、さらにその動機にしがみ続けることができれば、チャレンジに向かっていけるかも。(上記②、③の場合と同じになっちゃった。)

Ⅱ.の場合は、もしかすると専門的なケアが必要な場合もあるかもしれない。この記事の本題はここから。

「自分で自分のことが分からなくなる。見失う。」

自分はこの領域に浸かっていたことがあった。

自分の言っていること、やっていることが本当なのか嘘なのか。自分の気持ちに正直なのかどうなのか。もう自分でもワケわかんなくなる状態。なにが本当で何が嘘か。判断している自分はどこにいるのか。

誰が正しい??自分は正しいのか、間違っているのか。

「なんで??えっ、いつから??どうした??」

どんどん焦って、息苦しくなって、壁殴るし、泣くし笑うし。。

カウンセラー。勧められたけど最初は突っぱねたね。

「うさんくせー」って思ってたのよね。

「ふざけんな、人の気持ちなんてわかるわけねーだろ」

「丸め込もうったってそうはいかねーんだよ、インチキ野郎が」

とか。もう心がすさみまくってるからそんなふうに考えているわけ。

たまったま。

自分の場合は、たまったま、ふとした拍子にカウンセリングを受ける機会があった。いま思えば、ありがたい経験だった。

これはマジなんだが。

ほぼ、そのカウンセラーの人、何にも言ってなかった、と思う。

っていうか、カウンセラーはわりと「言わない」みたいね。

アドバイザーではない、ということ。

実際に体験するまでは、そんなことあんまり考えなかったね。

ただただ、そこに、いてくれた、という感じ。

年上のおばさん。まるっこい顔でやさしげな印象。

「○○って思われるかもしんないんすけど、、」って、自分で自分をフォローしてひたすら自分があわててしゃべってたと思う。

「くそ!なめられたくねぇ!」とか「あわててる時点でぶっちゃけおれの負けだわ」とか、そんなこともグルグル考えながらしゃべってたな。

初回、そんな感じで、なんか、少しスッキリする部分もあったから

何回か、しゃべりに行った。そのあとかな。

カウンセリング以降だったか、いや、それ以前だったのか。

「ジョハリの窓」という心理学の用語を学んだか、思い出したかしたんだよな。

心には4つの領域があって、って話。

1.自分で分かる・他者も分かる

2.自分で分かる・他者は分からない

3.自分は分からない・他者が分かる

4.自分も分からない・他者も分からない

ここで面白いのは「4.」。

自分も分からない、他者も分からない。という領域。

「そんなの意味無いだろ!」って思っちゃいがちなんだけど。

これが重要なんだよな。

「3.」自分が気付いていなくて他者が見てくれている、という場合があるということ。これは「言われてみればあるかも」って思えるんだよ。

そんで「4.」ね。

自分も分かっていないし、他者も分かんない部分があるよ、、っていう。。

その心のしくみの奥深さ??

つまり。

「自分なら、なんでも自分のことは知っている、分かっている、把握している」って思うのは傲慢だ、ということ。

「自分が気付いていない点を、他者が気付くケースが存在する」し、

「自分も他者も気付いていない点が自分の中に潜んでいる場合」もある、

って、「知る」というか。

信じる、というか。納得する、というか。

すると、不思議にフワーッ、と「焦り」が消えたんだよね。

あぁ、そうか。。。自分でぜーんぶ自分のこと把握してますよ!ってカッコつける必要ないんだ、

って思えるようになったんだわ。

知らなくていいんだ。分かっていなくていいんだ。

そういうこともあるんだなー、てな感じで。。

なんっつーのかな。

自分の意識外の部分を認められた、というか。

もうちょい広い世界がありうるのでは、と想像するようになった。

自分の場合はそんな経験があって。楽になれた、という話でした。


結論としては。

自分で自分のことが分からなくなるときだって、ある!

そんで、それは別に恥ずかしいことじゃない!

って話。

じゃ、そんなときどうしたらいいか、ってことは、

ちょっとうまく言えないんだわなー。

自分の場合は自分。ヒトの場合はヒトだと思うのでね。


ただ。自分が言えることは。

上のジョハリの窓で見たように、「自分の意識が効いていない部分にも」

自分の心はあるのかもしれない。。

うぇい。

自分、でけぇじゃん。

他人(ヒト)もだけどね。笑


お付き合い頂きまして、ありがとうございました~。:)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?