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儚き者たち 1 ①

子供のころの私は、親にとって扱いづらい子だっただろう。
すぐに感情を高ぶらせたり、落ち込んだり、変に達観していたり。

子供心に、周りの同年代とは合わない、ずっとそう感じていた。
大人と話している方が、どこか落ち着く。
大人たちが私に話を合わせてくれていただけなのだろうけれど。
クラスメートたちと話していても、楽しいとは全然感じられなかった。

じゃあ、1人で過ごす時間が好きなのかと言われると、変に寂しがりやで誰かと一緒にいたいと思う。すごく面倒くさい私だった。


「小さいころ、アロワナがとても怖かった」

大人になってから、正月の親族の集まりの席で、年下の従弟に言われたことがある。
普段はどちらかと言えば静かなくせに、感情の起伏が激しく、一度スイッチが入るとなかなか収まらなかった。
特に周りをコントロールしたく、自分の意に染まない物事には攻撃的になるかふてくされるか。
大人にとっては扱いづらい子供で、年下から見れば怖い存在に他ならない。

そして問題なのは、本人がそのことに全く気付いていないということだった。


自分の中に、突如として湧き上がる感情。
怒りだったり、悲しみだったり、恨みだったり。
ネガティブな感情が私を支配する。
すると途端に周りに対して攻撃的になる。

なのに、私自身はそんな自分の豹変に全く気付かず、母が腫物を扱うように私を見ていたことすら知らなかった。


何かがおかしい


そう気づいたのは思春期に入ってからだった。
思春期特有の反抗期を迎えた時、自分の中にある「ただならぬ感情」に気が付いた。

でも、この時は「何かがおかしい」と気が付いただけ。
そのことに対する知識も経験も、圧倒的に少なすぎて、時折爆発する得体のしれない感情をただ持て余していただけだった。

大人になるにつれて、少しずつ少しずつ、感情への対処の仕方を覚えていく。といっても、その感情を自分の中に押し込めるという、結果として自分を苦しめる方法でしかなかったが、社会生活を送っていくうえで、周りとの関係性を保つ点においてはとても有効な方法だった。

感情が自分の中で暴れまわる。
そのことに随分と苦しんだが、その感情を自分の奥底にしまい込むスキルもだんだんと上達していった。
そして気が付いたら、自分の感情がわからない、感じられない私が出来上がっていた。

涙を流すことすら、随分と忘れてしまっていた。
泣きたいような気はするけど、涙腺から涙が出てこない。
込み上げてくるものが、下瞼あたりで止まってしまう。
そんなことが当たり前になっていた。


「大変ね」
「よく今まで生きてこれたわね」

何を言われているのかわからなかった。

「あなたのまわり、真っ黒よ」

「見える人」が見ると、私は多くの霊に取り囲まれた状態だったらしい。
よくその状態で自我を保ってこれたわね、普通なら頭がおかしくなって自殺しているわよ、と。

感情が分からなくなった状態で自我が保てているのかは甚だ疑問だが、その一言がきっかけとなって、これまでの不可解な感情の謎が紐解けた。

突如として湧きがる感情。
私の中で暴れまわるネガティブなエネルギー。

全てとは言わないが、それらは「他人のもの」だったのだ。
肉体を脱ぎ去った者たちの声ならぬ声だった。

自分に霊感があることは、幼少期から認識していた。
不思議な体験もしている。
だからといって、憑依体質だということには、全く意識がいっていなかった。

「見える人」曰く、まるで椅子取りゲームのように、私の中にできるわずかな隙間を、大勢の見えざる者たちが入れ替わり立ち代わり入ってくるのだそうだ。


「大変ね」

そう言われても、私もどうしていいのかわからない。
まずは浄霊を…と、たまたま知人にそういうことに詳しい人がいて、霊能者を紹介してもらい浄霊をしてもらった。

変化があったのか、なかったのか。

体は楽になった気がするが、根本は何も変わっていないような気もしていた。


つづく












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