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知らない

どんなに辛くても、しんどくても、きちんと誰かに助けてもらったとしても、最後に前を向くかどうかは私が決めないといけない。ある程度のところまでは人の手を借りたとしても、そこからは私が乗り越えるしかない。

というのは、社会人になってから改めて刻まれたこと。まあ状況も人も環境も変えられないなら自分の心持ちを変えるしかないんだよねという、諦めというにはちょっと明るい。前向きというにはなんかヤだ。


日常というのはどうも楽しいことばかりではないらしい。今の私にとって、生きるためには働くことを避けられないからね。
出来事にはプラスとマイナスがあって、なんとなくプラスが多いときは身体も心も元気だから趣味も楽しい。
なんとなくマイナスに傾くと、まず身体が重くなっていく。大丈夫だと思っていた心は知らないうちに疲れていて、気づいたら趣味と距離を置いている。

私にとっての趣味、アイドルを応援することは、私の毎日の原動力やエネルギーになるはずだった。
日常がマイナスになると推し活に向かうエネルギーも湧かない。趣味というのは、ある程度身体と心が元気じゃないと向き合えないものなんだったと知る。
毎日をなんとか生き抜くのに必死で、推しのことなんか追いかけてられなかった。ほんとうはそういう日々のために、そういう日々こそあなたに救われていたはずなのに。自分のことでいっぱいになってアイドルに目を向けていられなくなった時期があった。

毎日すこぶる元気でパワー全開で生きていくところまでは望んでいない。毎日なんとなくちょっとプラスだったらいい。そのためにプラスを増やすのか、マイナスを減らすのか、どっちがいいんだろうね。

マイナスって自分で選んでる訳じゃない。大体は知らんうちに降ってきてる。ほんとうはさ、自分のことだけ考えて周りのこと知らんふりしてたらそのマイナスって避けてもいいのかもしれない。でも見て見ぬふりはできないじゃないですか。避けてもいいマイナスと、誰かが拾わなきゃいけないマイナスがあって、後者って多分それはこの場面だったら私が拾わなきゃいけないんだろうな…が多い。けどそれ大体全部拾ってると自分がマイナスに傾いていくんですよね。

「凪さん、いつも気を遣ってくれてありがとう」
と、仕事中ふと先輩からかけられた言葉。なんにも嬉しくなかった。そんな言葉要らないから、私が拾い集めているマイナスをひとつでも持ってくれませんか。言えないけどさ。

源さんの「笑顔のようで色々あるなこの世は」なんだよな。にこにこしながらこんな思いして働いてるって先輩は知らないでしょう。知らなくていいんだけどね。

こんなに喋っておきながら、めちゃくちゃプラスに上向いて仕事楽しい時期もあるわけで。プラスとマイナスの差が激しいと消耗していくので、ほどよく、マイナスでもいいから浮き沈み少なく穏やかに過ごしていきたい。そのためにパワーのかからない「好き」を持っておくこと、仕事を自分のものにしてしまうこと、できることは色々ありそう。
ま、それらをやるやらないは私が決めますけどね。

「私が決める」も面倒になってくる日、あるよね。あってもいいよね。もう六角えんぴつに番号ふってコロコロしたい。選択なんてそんなもんでいいんだろうなと、薄々気づいてはいる。


追記
「凪さん、いつも気を遣ってくれてありがとう」を「自分の業務だけでなく周りの仕事、所属部署全体の業務に気を配っていて、部署の円滑な運営に寄与している」と評価の言葉をもらった。
そりゃやるよ。言われなくたってやりますって。
自分の仕事だけやってりゃいいじゃんの人、まぁ多いけどさ。ひとつずつでもいいからみんなでやろうぜ。うちもサンリオの企業理念と同じにしようぜ。何の話?

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