昔ホームレスだったから今は何でもできる!
はじめまして、あろめちゃんです。
これからたくさんのことをはじめてみようと思ってその途中経過を書き残したり
いろんな方と情報交換に使えそうだと思ってこちらでブログを作ってみました。
よければ暖かく見守ってください♪
おおまか~にやりたいことをちょっと上げます。
今とりあえず企画してたり、もう進行中のものもあります。
・サークルを作ってゲームマーケットでTRPGのシナリオを出す
・ゲームジャムを行う
・ボードゲームを作ってみる
・ソーシャルゲームを作ってるのでそれを完成させる
・ソーシャルゲームを作る会社を形にする
・TRPGのアニメをつくる
と、まだいろいろありますがこんな感じです。
ちょっとでも興味ございましたら、読んでもらえると嬉しいです。
あろめちゃんって名前はよくゲームで使ってたりして、そのオフ会とかでもあろめちゃんって呼ばれてます。
適当な文字の組み合わせですが、かわいいから気に入ってます~(*'ω'*)
よく友達から 「あろめちゃんってすっごい行動力あるよね!」って言われます。
自分でも行動力があるって思ってますし、謙遜しないです。
でもこれって私が過去に 行動しないと死ぬ経験 をしたからなんです・・・。
つらい経験に聞こえるかもしれないですが、これは今の私を形作る大事な体験だったので知ってほしいです。
私は平成生まれの20代女ですが、ホームレス経験があります。
簡単に経緯を説明すると、
当時新卒の私は兵庫県からある芸能事務所の事務として東京へやってきました。
社長から「社宅はあるから遠慮なく、貯金もなくても大丈夫だから早くきて」と言われてたので
決まり次第すぐ向かいました。
そしてふたを開けてみたら社長と1R二人暮らしだったのです。
会社は新しく開業する予定だからということで事前情報はその社長からの説明のみでした。
「パソコンは自分で購入してね」社会を知らない新卒の私は言われるがまま持っていた12万でパソコンを購入。
仕事は、女の子のスカウト、宣材写真の加工、サイト作成、会社のロゴ作成、名刺作成と
完全にすべて私がやっていました。
社長はというと「インプットが大事」といってGEOで借りてきたDVDを毎日見ていただけです。
そこで相当なことできるようになったり、スカウト業務経験で知らない人への接し方がうまくなったりしたわけですが
とにかく夜寝るのが怖かった。社長はもちろん男性だし恐怖でしかなかったので
一睡もしませんでした。
病気になってもお金がないのでとにかく耐えながら仕事をし、一か月が過ぎました。
社長にそろそろお給料が欲しいです。というと
「え!?実績になってないんだからあるわけないでしょう?というかなんでこんなになるまでバイトしなかったの!?」
と耳を疑うような言葉を返されました。
これは逃げないとやばい・・・
その夜、社長が遊びに出かけたのを見計らって荷物をまとめて夜逃げをしました。
デスクトップパソコンはほんと重かったです・・・・。
これでホームレス新卒の誕生です。
やばいですね☆
住所がないのでもちろんアルバイトなんてできません。
私は何日かに一回、ネットカフェにとまり、photoshopが使えるパソコンを借りて、フリーランスで仕事を取りながら生計を
立て始めました。
ごはんは当時ファミマに売ってる無印製品「ミニラーメン」という3ブロックの おやつラーメン みたいなのが入った 105円の商品でした。
それを3日で1ブロック食べてました。
ネカフェが使える日はシャワーを借りることができました。
しかし私はその状況が楽しくて仕方なかったです。
なんとかなる って本気で思ってました。
社長との日々が地獄だったのは確かです。
当時実家も同じタイミングで父がアキレス腱を切って入院したり、母親が200万だまし取られたり、
私の家はめちゃくちゃな状態でした。
とても白旗上げて帰れる場合ではなかったので、いつも家族には元気にやっているとしか連絡をしませんでした。
しかし、フリーランス経験もないし、実績だってまったくない、人脈も東京きたばかりで知り合いが一切いないのに
仕事がくるわけがありませんでした。
限界が来た私は近くの不動産会社に転がり込みました。
そして事情説明をすると、なんとそこの方は「ここの物件2か月ただでいいよ!」といってとっても快適なお部屋を提供してくれたのです
東京の人怖い。。。と思ってた自分が初めて優しい人に出会えた瞬間でした。
この出来事で私は人間不信にならなくてすみました・・・。
住所が手に入ったのでアルバイトができるようになり、生活は安定していきました。
しかし、就職するのはとても怖くなっていて、会社というものが信じられなくなっていました。
アルバイトをしながらまたひたすらフリーランスの仕事を探す日々が続きました。
そのときの仕事の取り方は斬新で、ポートフォリオを作って、講談社へ行き、受付の前で下の階から上の階までかたっぱしから知らない雑誌でもなんでも電話してアポをとり、怒られないで上がっていいよって言ってくれたところに行くという無謀なことをやっていました。
中には「その心意気気に入った!」って入れてくれるところもありましたが、だいたいのところが、今突然ですか・・・?って感じで追い返されましたね。なぜか家でメールするということをしないで足で営業をかけてました。
はい、もちろん仕事なんて全くもらえませんでした。(笑)
あれから状況以外なにも変わってないもん。
そんなある日、大阪で「上田バロン」さんの展覧会があるという情報を掴みました。
上田バロンさんは私が小さいころから好きだったKONAMIの音楽ゲームのBEMANIシリーズ等でムービーイラストを描かれていた方です。
その展覧会を見に行くことを口実に私は初めて兵庫県に帰りました。
あれから何か月もたっていたので、実家もひと段落がついていて安心しました。
そして上田バロンさんの展覧会へ。
そこでバロンさんは何時間も私とワンツーマンでお話をしてくださいました。
今の状況を伝えると
バロンさんはとても真剣に話を聞いてくださり、私に助言してくれました。
「今の自分はフリーで仕事をしているけど、それはしっかり下積みを行ってきたからです。ゲーム会社に入って
たくさんの人と人脈を作って たくさん経験を積みなさい。」
「あ、はい!」
もうほぼ二つ返事でした。
やっぱりあこがれの人の言葉ってすごいですね☆
実家でゆっくりすることもなくさっさと東京に帰った私はすぐさまゲーム会社に就職活動を始めました。
そこからは怒涛でした。
aftereffectsを習得したり、プランナーを行ったり、
経験を生かしてアニメーション監修を行ったり、たまたま遊びで描いた アメーバピグでほしい家具セットを一週間で作ってみた~
という絵が気に入ってもらい、サイゲームスでイラストレーターをやったり、アイドルマスター作ったり
あのどん底にいたときから、4年程度で登りました登りました!
自分でもすごいことやってんなーって思ってます。
そして私と一緒に なにかをしよう って言ってくれる素晴らしい人脈が今は万里の果てまで伸びている感じです。
どの計画も私一人でやろうと思ってるわけではないです。
今の私はわくわくの中にいます。
私の好きなゲーム実況プレイヤーの言葉を借りるなら
「全部ワクワクにかえちまえばいいんだ!」
あのホームレス期はつらいって思ったことは一度としてなく、じつはワクワクしていたんです。
あの経験が私の原点であり、ワクワクのさきっぽです。
まだ中腹ですが、もっともっと登っていくのでどうぞよろしくお願いしますー!(^^)/