【父方ルーツ #9】 明治時代のご先祖さま 繋がりの強い家について調べてみる
嫁家督において、婿を養嗣子として迎えるという事例についてはスムーズに理解できました。
けれどもこの家には他にも養嗣子が存在する上に、長男と二男である2人の実子も養子に出されています。
しかもそれは出入りともに後藤長右ェ門家。
最終的には出入りした3人ともが、それぞれの実家に復籍しているのですが、この2つの家の交換留学ならぬ交換養子を行なった背景に何があったのかは想像の域を越えることは叶いませんが、よほど繋りの強い両家なのでしょう。
ではこの後藤長右ェ門家とは一体どういう家なのでしょう??
〇〇村壱番地
私の曽祖父兵蔵が5歳から10歳までの約5年、長兄兵吉とともに後藤長右ェ門家に養子に入っていたことから、長右ェ門戸籍も手にすることができました。
戸主後藤長右ェ門は、天保元年生まれ(1830)。長右ェ門長男とあります。(代々長右ェ門)
明治5年以前に家督相続との記載があり、この戸籍より一つ前の壬申戸籍以前に相続しているため詳細情報は不明です。
さてこの戸籍の本籍地を見てみると○○村壱(一)番地とあります。
この時代の壱番地ですから、長右ェ門家は何かしら村の中心的存在であった可能性は大です。
これは非常に興味深い!
長兵ェ家の養嗣子となった兵治の実家は長右衛門家。
長右ェ門家の養子となった兵吉と兵蔵の実家は長兵ェ家。
このように見事に交換されています。
ただ、養嗣子と養子の違いはありますので、ここにも何らかの意図がありそうです。
そしてこの3人に共通して名前に「兵」がついている・・・これはどういうことでしょう??
ちなみに長右ェ門家の家督相続しているのは長男「長一郎」との記載がありこちらは「長」。
はて・・・?
通字もこの二つの家で何かしら繋がりを持っているのでしょうか。
既に通字については話題にしておりましたが、そもそも通字とはなんなのか。
自分の認識は正しいのか?改めて調べてみました。
とおり‐じ とほり‥【通字】〘名〙
① 人の実名に、祖先から代々伝えてつける文字。たとえば源氏で頼朝、頼家、義家、義朝の「頼」「義」、平氏での清盛、重盛の「盛」などの類。
② 世間一般に通用している俗字。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版
”つうじ”とよんでいたけど、“とおりじ”だそうな。
「系字」ともいうらしい。
この二つの家には「長」「兵」が何かしらの法則性を持って使われているのかもしれません。
あくまでも仮説ですが。
ブランド米の名前にも
こうして少しずつ考察を深めていくうちに、もっと話を聞いてみたいという好奇心が膨らんできて、どうにかしてこの地域の同姓宅にアポイントを取れないかという気持ちと、いやいやそれはやりすぎだろうという冷ややかな気持ちが交錯し始めました。
のちにルーツ探しをされている方々のお話を聞くと、同姓宅への聞き取り調査をお手紙、電話などでされている方がたくさんいることを知るのですが、この当時の私は自分のできる範囲で精一杯のことはなんだろうと模索していたのです。
好奇心と冷静さの間をとって、広く間口が開かれている方ならお話を伺いやすいだろうという観点から、ネットで地域を検索することにしました。
すると、この地域の同姓家の中で商店を営み、かつウェブサイトがあり通信販売も行なっている方を見つけることができました。
善は急げ、早速連絡をとってみることに。
でも!!いきなり連絡はちょっと抵抗がある・・・
ということで、まずはその商店から商品を購入することにしました。
その商品とは秋田のおいしいお米。
その名も「吉右エ門」ブランド米です!!
どうやら先代のお名前から名付けたとのこと。
このお宅は「吉右エ門」が屋号なのでしょう。
長右エ門、長兵エとは屋号が異なるため、直接ルーツを同じくする家ではないことは承知の上で、商品購入後の感想とルーツ探しの経緯を説明し、お話を伺いたい旨をメールさせていただきました。
(ちなみにそのお米ですが、さすが米どころ秋田のオリジナルブランド米!ツヤツヤでふっくら甘くてとても美味しかったです!!!自宅はもちろん、実家にも送りました。遠い遠い時を超えたふるさとを思い浮かべながら食べたことで美味しさはもちろん、感動はひとしおでした)
さて、そんな私からの突然メールに対して、丁寧なお返事を頂きました。
「残念ながら昔のことはわかりませんので、地元の郷土史に詳しい方をご紹介します。ぜひご連絡されてみてはいかがでしょう。」というものでした。
大変ありがたいことに、郷土史家の方をご紹介くださったのです。
連絡先のお電話番号が書かれていたので、数日後早速お電話させていただきました。
わー!!緊張します!!!
そのお話は次回へ続く・・・
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