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【母方ルーツ#12】羽咋編③ 一喜一憂
いつもご覧頂きありがとうございます。
羽咋編の3回目です。
前回の振り返りはこちら。
そして届いた本はこちら。
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サブタイトルにもあるように、先祖探しをしていて一番気になるのが、
「先祖はなぜ北海道に渡ったか」ということ。
先祖調査に夢中になる私にとって、長濱姓に限らず全ての先祖について思いを馳せてきたことがまさにそれでした。
けれど、その理由に辿り着くのは容易ではありません。
辿り着かなくとも、その山の頂き向けて進んでいく、そんな感じです。
先祖調査は奇跡体験の連続と言われますが、この本に書かれている内容はその感動を共有できるものばかりです。
前回Mさんからは、まずは「長濱久松」と「イヨ」の繋がりを探ることから始めてみましょうとのお返事を頂きました。
新たな風が吹き始めました。
往復書簡③ そら→Mさん
以下、私からMさん宛の返信の一部を抜粋いたします。
Mさま
「長濱久松」「長濱イヨ」の本籍地は、羽咋郡以下の「字」までが同じということですので、
ご提案くださったように今後2人の関係を確認出来たらと思います。
私のルーツ長濱家の本籍地は石川県羽咋郡上甘田村☆☆番。
戸主 長濱十助(イヨの兄)となっています。
現在私の手元にある戸籍ではイヨの父親の名は不明、母親の名はタケ。
前戸主は祖父「長濱十助(兄と同名)」で、その長女が「長濱タケ」と記載があります。
現在進行形でさらに戸籍取り寄せ調査中ですので、イヨの兄弟の名前や両親の代の戸籍から新たな情報に期待です。
また、質問事項にあった宗派についてですが、嫁長濱家については残念ながら不明です。
集団墓参の新聞記事にあるように妙成寺(日蓮宗)は長濱家に限らず滝谷集落の人々にとって、縁のある宗派の可能性が高いと推察されますので、こちらも今後調査してみようと思います。
この中にもあるように、イヨの父親の名前は手元にある戸籍の情報だけでは不明です。
ただ、祖父からイヨの兄(孫)に十助の名が継承されていることはわかりました。
登場人物を整理します(イヨからの続柄)
祖父 長濱十助 (生年不明)
母 タケ 嘉永元年生
兄 十助 明治7年生
本人 イヨ 明治17年生
弟 惣右ェ門 明治20年生
弟 外松 明治22年生
長男十助とイヨは10歳差があります。
そしてイヨと歳の近い弟が2人。
父も祖父ももうこの戸籍では既に亡くなってきます。
往復書簡④ Mさん→そら
Mさんに本籍地の地番をお伝えしたところ、こんな返信が返ってきました。
そら様
現時点で私の先祖長濱家で確認できる最初の先祖は「長濱久松」ですが、久松自身の戸籍を私は取得しておりません。ただ、萬藏や久蔵の戸籍から、石川県での本籍は「石川県羽咋郡上甘田村字滝谷◆◆」だったことがわかります。そらさんの「☆☆」とは異なりますね。
残念ながら、久松の戸籍がないため、久松の父母の名前もわかりません。久松の妻「よん」は再婚のようで、最初の夫とのあいだに生まれた女児「とよ」を久松は後に認知しています(あるいは結婚前に久松との間にできた子かもしれません)。「とよ」は北海道に渡らず、石川県羽咋郡に残り、婿養子「十良」(実父柳森七助、実母かね)を迎えました。お知らせいただいた「長濱十助」と名前こそ似ていますが、そういうわけで「十良」は血縁はないと思いますが、昔のことですから遠縁の可能性もあります。
残念ながら私がわかることはそこまでで、逆にそらさんからの情報を楽しみにしています。いずれにしろ、長濱イヨさんや長濱久松は、石川県時代かなり親しく交流していた親族で、そろって北海道に移住したことに間違いないと思います。
私の手元の戸籍にMさんの曽祖父「久松」の名前がないことからも、地番は異なることは既にに予測したことではありますが、改めて聞くと少し残念な気持ちもしました。
ただ、Mさんの手元には戸籍が無いことから、情報は圧倒的に少なく、調査の余地は多々ありそうです。
まだまだ関係性を見出すチャンスは残っているということでもあります。
利尻?!天塩?!
この時点で手元にあった戸籍は羽咋本籍地のもの1部でした。
その戸籍をよく読むと
明治32年北海道利尻郡仙法志より滝谷へ転籍
とあります。
ん?これは北海道から戻ってきたあとの戸籍?
そして、
明治35年北海道天塩郡天塩村へ転籍
との記載もみえました。
そして数年後すぐに天塩へ??
情報を紐解きたいけれど、とにかくこの戸籍係の方、達筆すぎて(!?)読みずらい。
32年なのか35年なのか…
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難読戸籍ですが、どうやらその前の本籍地は利尻にある事がわかりました。
利尻→羽咋→天塩
はて…?
混乱します。
転籍の日付が明治19年よりも前なので、
ダメもとで、利尻に戸籍請求してみることに。
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戸籍を郵送請求し数日後、
なんと利尻に戸籍が残っていました!!!!
ガッツポーズです。
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有難いことに、この戸籍はとても読みやすい!
そしてここには大切なヒントが記載されていたのです。
1つ目。
母タケの続柄が亡父十助妻とあります。
(戸主である兄十助から見て父)
誤記の可能性も否定できませんが、ここはそのまま信じたい。
それを前提とすると、この家も姉家督で父は婿養子。
祖父も父も兄も十助ということでしょう。
既に祖父も父も他界しており、長男が若くして家長となったようです。
2つ目。
なぜか欄外に記載されている、利尻の前の本籍地名。
明治27年羽咋から北海道札幌郡白石村87番地へ入っています。
白石こそ、Mさんの先祖久松さんがいた場所です。
整理します。
明治27年 羽咋→札幌(白石)
明治31年 札幌→利尻
明治32年 利尻→羽咋
明治35年 羽咋→天塩
ずいぶんと、長濱十助の戸籍は転々としているものです。
期待を込めて利尻の前の本籍地札幌にも戸籍請求しましたが、戻ってきたのはこちら。
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無念!
初めて出会いました、廃棄証明書。
昭和60年に廃棄されていました。
ちなみに、出たり入ったりの羽咋ですが、手元にあったのは、北海道から戻った後の戸籍。
いちばん古いであろう羽咋戸籍はこちらも既に廃棄され存在しないとのことでした。
これらの古い戸籍があれば、父や祖父の生年月日も判明したかもしれないだけに、悔やまれます。
最近はもうマイクロフィルムとしてデータ保存されているようなので、廃棄する必要もないかとは思いますが、先祖調査は時間との勝負だったりするのです。
少し調査が進みましたので、Mさんにも報告しましょう。
長くなりましたので、続きはまた次回。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
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