【母方ルーツ#11】羽咋編② 往復書簡のはじまり
いつもご覧頂きありがとうございます。
羽咋編の2回目です。
「羽咋」
もう読めるようになりましたでしょうか。
そう。「はくい」です。
ただ、変換するとまず「白衣」が出てきてしまいます…
あわせて、羽咋の場所もご記憶頂けましたでしょうか。
能登半島の一番細くなっているあたりです。
しっかり握りしめてくださいませ。
往復書簡の始まり
Mさんとの往復書簡が始まったのは昨年の6月。
母方曽祖母、長濱ルーツの調査を開始してまもなくの頃でした。
この時点で私の手元にあったのは、親戚がかつて調査した時に取った長濱家の一番古い本籍地がわかる戸籍のコピーだけでした。
母が記憶する長濱家の情報もほぼ皆無。
なにかヒントがないかとネット検索。
いくつかワードを組み合わせながら入力します。
ある時、突然そのブログと出会うことになります。
検索にあがってきたMさんのブログ内には、
昭和59年の北海道新聞
「羽咋から移住 北海道開拓団 ~子孫が妙成寺墓参~ほとんどが3世」
という見出しの記事が掲載されていました。
しかもMさんの母方祖父長濱家のルーツは石川県羽咋滝谷と記載されています。
なんということでしょう!
同じ姓、同じ集落、同じ移住先!
親戚か?!
親戚なのか?!
いや、まず落ち着け。
…落ち着かぬまま勢いに任せてまずはMさんの書籍「私のルーツ」を購入するため、事務局にメッセージを送りました。
実際に送ったメッセージの抜粋がこちら。
このメッセージは、あくまでもMさんに向けたもの、かつ、書籍購入の申し込みのためでした。
数日後書籍は届いたものの、何らお返事は来ず…
メールもしくは一筆にてお返事が来るものと密かに期待していただけに、反応がなかったのは寂しくもありますが、これは仕方ない…
手元に届いた「私のルーツ」を一気に読み終え、数日後。
ふと思い出したようにMさんのブログを開いてみたのです…
ひゃぁぁ!!
うっかりしておりました。
なんと、記事の形でお返事を頂いていたのです。
(Mさんのブログはnoteやアメブロ、はてなブログのような形式のものではなく、ホームページ内に埋め込まれた形で、コメント欄というものは存在しないタイプでした)
数日放置してしまったことを激しく後悔。
以下Mさんからのお返事です。
こんなやりとりから、往復書簡がはじまったのです。
なにか面白いことが始まりそうです。
☆
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
のんびりペースではありますが、次回もどうぞよろしくお願い致します。
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