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【そら散歩】 モントリオール街歩き③ ケベック時間旅行

もう少しだけポプラの綿毛舞うカナダのモントリオールを散策記事を続けよう。
このふわふわ飛ぶ綿毛は、カナダでは「サマースノー」とも呼ばれるとか。
モントリオールの短い夏を愛しむように舞うサマースノーの優しげな雰囲気が旅の思い出に彩りを添えてくれた。


歴史民族情報を求めてマッコード博物館へ


北のハーバードと呼ばれるカナダを代表するマギル大学の構内を抜け、次に向かうのはマッコード博物館(McCord Museum of Canadian History)。モントリオールの歴史と民族に関する考古学的資料が充実しているとのことでやってきた。

カナダには多くの先住民族が暮らしており総人口の約5%を占める。大きく分けてファスト・ネーションズ(北米インディアン)・メティス(先住民とヨーロッパ人の間に生まれた子孫)・イヌイットに分類され、このうちのファストネーションズはさらに50を超える民族と600を超える共同体が存在するという。アメリカでは先住民をネイティブ・アメリカンという用語を用いているが、カナダではこの呼び方は一般的ではないそうだ。

私たちは宇宙の一部
イヌイット
トーテムポール

トーテムポールは民族によって色や形も様々なのだという。動物や人間が描かれており、神話や歴史などを象徴しており、民族によりトーテムポールの意味も異なるそうだ。眺めていると、私たち人間と動物の世界が精神的に融合していることを深く感じさせてくれる。ここに展示されていたトーテムポールはどこか東南アジアの神々のような表情に感じられ、アイヌの人々の世界観にも似ているように感じられた。自然の中で生きるということは、概念としての境界など存在しないのだ。
季節も時間も本当はずっと一連のもの、そして人と自然界が緩やかに繋がりを感じることが精神的な豊かさにつながるように思う。

DUNCANが描いたモントリオール


2階へと展示室を移動すると、モントリオールをJAMES DUNCANにより描かれた絵画の視点から見つめる展示コーナーとなる。JAMES DUNCANは1800年代の画家でモントリオールの街並を非常に詳細に描き出しており、写真による記録ができなかった当時の様子を知るための記録的遺産として非常に価値のある作品を数多く残している。

街並みが回路となっている
当時の市街地の地図。現在は旧市街地として観光地となっている。
ノートルダム大聖堂
現在のノートルダム大聖堂


1852 James Duncan
現在は中がマーケットに

1800年代に描かれた建築物がそのまま保存されているこのエリアは、現在では旧市街地と呼ばれ多くの観光客が行き交うエリアとなっている。

モントリオールの西欧人による入植の歴史は、1600年代半ばから聖職者を含む入植者がフランス人開拓団としてこの地にやってきたことに始まる。その後多くの市民がそれに続き、彼らは国が推し進める戦略とは別にそれぞれの意思を持ってその現実と向き合ってきたはずだ。厳冬期の当時の生活の様子なども描かれており、厳しい寒さの中で開拓が進められたことが伝わってくる。どこともなく北海道の開拓の歴史とも重なり心に迫る。
第一陣に聖職者を伴い、そして数多くの教会を建築した様子からも開拓団にとって精神的支柱となる聖職者の存在は大きかったのだろう。特に母国から遠く離れ、過酷な環境でコミュニティーを纏めるためには、戦略的にもそのような存在が重要であっただろうと思う。

その後1700年代半ばにはイギリス軍に占領されイギリス領地となった。現在ケベック州はフランス語を第一言語としての政策が推し進められているが、そこには長い歴史背景があるからこそだろう。厳しい開拓期を経て手にしたその土地への愛着とも執着とも呼べる感情がそれらの複雑さをもたらしているのかもしれない。ちなみにケベックがカナダから独立を望んでいるというのもそういう背景から来るものなのだろうか?もう少し勉強が必要だ。

ただ、本来はここにも先住の民の暮らしがあったことも忘れてはいけない。

誰の土地か・・・それはどこも複雑な問題だ。


複雑なケベック州


すでに言語について少し触れたが、ここモントリオールが属するケベック州の公用語はフランス語|のみ《・・》で、表記等は全て原則フランス語が義務付けられているという。観光都市であるモントリオール市街地はフランス語と英語が併記されており、人々もどちらの言語でも会話してくれるため、旅行者はそれほど不便することはない。
それでもやはり第一言語はフランス語、ケベクワという独自のフランス語だ。
地下鉄の車内アナウンスもフランス語でしか行われていない。当然公共サービスもそのような状況なのだそうだ。

そこに暮らす人にとって、同じ国内でありながら言語が異なるということはどういう状況なのだろう。移民はもちろんフランス語に順応するしかない。しかしカナダ国内にはフランス語が得意でないカナダ人だってたくさんいるはずだ。国内転勤や国内移住だってあるでしょうに・・・数々の疑問についてモントリオール出身の友人ができたので、その辺に関して質問してみた。

彼女はモントリオールに生まれ、育ったのはケベックシティという街でフランス語しか通じないエリアだそうだ。彼女の両親は英語圏の他州で生まれ育ったため、基本的にはフランス語があまり得意ではないという。
ケベックは学校教育においていくつかの選択肢があるという。移民もしくは両親がフランス語話者である家庭の子供はフランス語教育の学校へ通うことが原則。しかし両親が英語話者である場合は救済措置として英語による教育を受けることができたという。もちろんフランス語を学ぶ時間もあるし、生活圏では当たり前のようにフランス語を話す環境だ。

では彼女の出身校であるモントリオール市内にあったマギル大学での講義はフランス語なのかと尋ねると、大学内の言語は基本的に英語で行われていたという。
しかし卒業後にケベックで就職したなら、当然フランス語で仕事をすることになる。彼女も卒業後はモントリオール市内で就職したそうだ。会話は問題なくとも、ネイティブとしてフランス語で仕事をするのはまた別の話、それなりに苦労したそうだ。
そして彼女のご両親がケベック州内で暮らすのは容易ではなく、今はカナダ国内の別の英語圏地域で暮らしているという。複雑なケベック州の構造が垣間見えた。

そんな彼女は今はフランス語圏を離れて久しいため、もうフランス語は自信がないと言っていたが、今は日本語を学びそれなりに意思疎通が十分にできる日本語力を有しているところからして、自信がないというフランス語も十分すぎる能力を有しているであろうことは想像に難くない。
そもそも欧米圏の人はマルチリンガルがうじゃうじゃいる。
日本語ドップリで生きてきた私が想像する第二言語の意味とは彼らの第二第三言語の温度感は同じではないのだろう、相変わらず私の英語はとほほである。


美しいカフェでしばし休憩
たくさん歩いてホッと一息


モントリオール散策の途中に立ち寄ったこのカフェ。ここはロイヤルカナダ銀行を改装したという、天井が高くエキゾチックな雰囲気漂う極上空間であった。さぞお高いかと思いきや、スタバとさほど変わらない料金にほっと胸を撫で下ろす。
まだまだ注文のたびにドキドキしてしまうのであった・・・


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