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英語と日本語のこと:続編2:英語を身に着けるまで私(幼稚園生)のたどった手順
米国について1週間ほどで、地元の公立学校に通うことになったのは前回にお話ししました。怖気づくことなく、にこにこ通っていたそうで、それはちょっと稀有なこと、私の気質によるものかもしれません。
幼稚園に行くと、朝から黒人の大きなお尻の先生とまずはおはようの挨拶と、米国国旗にむかって愛国精神の文言を唱えてから授業がはじまります。この愛国精神の文言斉唱は小学生になっても続きます。(米国は、幼稚園はプレ小学生という位置づけて、同じ校内にあります。幼稚園生は半日だけなので、午前のクラスと午後のクラスとあり、ちなみに私は午前のクラスでした)よくわからないまま、言葉を音としてとらえて、一緒に唱えていた記憶、帰国して大人になってから、その文言をインターネットで探して、こんなことを言っていたんだ、、、としりました。
さて、先生が、辞書を片手に、片言の日本語を駆使して、なんとか私の理解をサポートしてくれてはいても、四六時中、つきっきり、というわけにもいかず。では、どうやって英語を学んだのか?
先生からの勧めで、帰宅するとちょうど放送開始となる「セサミストリート」を毎日みていました。セサミストリートは、米国に住む、様々な国の方々(移住者もいれば、難民で米国に来ている人も大勢いる)のお子さんたちが少しでも英語を学べるようにと番組が構成されていて、ただみているだけで少しずつ、文字(アルファベット)や単語、会話などを学べるようになっています。大好きで、毎日欠かさずみていましたので、次第にヒヤリング力が付いていったと思われます。
その番組からの流れで、カートゥーン(米国のアニメ、例えばTom&Jerryは代表的なもの)をみて、その後に、「奥様は魔女」のリアルタイム放送、「Brady Bunch」という家族ドラマが連続して流れるので、それも見ます。ようはテレビっ子になりますね。そこでだんだんと、英語が分かるようになっていたのでした。
面白いことは、先にヒアリング力がつくので、親が先生と面談するときは、私が先生の言葉を聞き取って、親に補足説明をしながら、先生と親が会話する、そんな場面が増えていきました。
とはいえ、やはり最初の3か月ア、学校で言葉がわからない、通じないことへのフラストレーション(イライラ、不満)で、自宅で、ひとりで前髪をバッサリ切ったり(イライラを髪を切ることで発散)、日本語で、外国人の方々にわがままを言ってみたり・・・言葉の壁からくるイライラとわかってくださった大人が多くいたので、みなさん大笑いして、許してくれていた尾を覚えています。
一番記憶に鮮明に残っているもので、こんなことがありました。
父の同僚の家に遊び行ったとき、その同僚の方は、日系アメリカ人だったので、父の同僚の男性は日本語もある程度わかる方でしたが、ご家族と高校生だったお嬢さんは、日本語が分からない、英語onlyの方々でした。
そこで、私のために、リンゴを1つ出してくださったのですが、そのリンゴの皮をお嬢さんが向いてくれようとしたとき、私が「まるくむいて!(皮がつながった状態でむくこと)わかった?」と何度も叫んでいたとか・・・お嬢差は日本語が分からないので、ぽかん、としていて、お父さんは傍でゲラゲラ大笑いしていました。
なんなのよーーーーと、怒っていた自分を思い出しますが、それを思い出すと、なんてことしたんだ、、、と恥ずかしい気持ちと、自分のおかしな行動に自分でも笑えてしまって、結構良い思い出でした。
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