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望みの薬

 今回は創作活動とはあまり関係のない話。

子どもの自殺が過去最高の512人というニュース。

 自殺者のうち4割は男子高校生とのこと。かなり高い割合。大学進学やその先の進路、将来設計に関わる失敗へのプレッシャーなどが背景にあるだろうか。特にこのくらいの年齢の男子となると本音や弱音も吐きにくいだろうことは想像に難くない。あとはコロナ禍の影響か。学校も元のような日常を取り戻しつつはあるが、窮屈な生活はまだまだ尾を引いている。集団生活には摩擦やストレスがある一方、コミュニケーションによる刺激の低減は人間の精神衛生や生命力に致命的な影響があることを我々に突きつけた3年間だった。

 失敗したり、挑戦したり、非合理的で愚かな選択を敢えて選び取ったり、こういったものは言うなれば一種の「自由」だ。何らかの後ろ盾、バックアップ、余裕がないとなかなか動き出せない。自分自身の人生を顧みてもそうである。今は多くの人が不自由を感じている時代だ。活力に満ちているはずの時期に未来を憂いた若き心を想像すると、言葉に詰まってしまう。

 一方で、長い目で見れば大抵のやらかしや失敗は取り返せるし、それらネガティブに感じられる要素は時にプラスにすらなる。不安や心配だって思い過ごしだったりする。喉元過ぎれば熱さを忘れるものだ。中年になった今だからこそ思うことだから、これを若い人間に言ってみたところでどれほど響くのかは分からない。無神経にすら見えるかもしれない。しかし、こういう考え方は遅効性の薬のようなものだと思う。とりあえず置いておくことにきっと意味がある。

 時代の大波の中では、個人の力など途轍もなく小さく、少なく感じる。乗れなければ呑まれる。希望が絶たれそうになる。しかしそんなどうしようもない運命を前にした時にこそ、隣人の言葉や気遣い、自分の心構えといった個人の力が尊いものとなる。他人を励まし、自分を奮い立たせていかなければならない。希望は人間の励ましや愛であり、絶望は悪魔の甘やかしである。希望の効き目は遅く、絶望の効き目は早い。

 子どもや若者にとってこの世界はお別れするものではない。これから出会うものだ。時に泥臭く戦い、そして愛するものなのだ。これはいつの時代だってそうなのではないか。何とか諦めず腐らず生きて欲しい。そう願ってやまない。

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