根拠の無い自信、根拠の無い義務感
来年の春に11年住んだ現在の家から引っ越すことになりました。
古いけれど収納の多い家だったので、何かと荷物が多いアナログ絵描きの自分にとっては暮らしやすい家でした。
次の家では作業部屋は少しだけ広くなるものの、今ほどの収納はありません。だから毎日少しずつ物の処分を進めています。集めすぎたシルバニアをメルカリに出したり、アクアリウム用品を捨てたり…。
そんな中、厄介なのは大きな絵。収納の奥深くから出てくる、思わず顔を背けたくなるような遠い昔の絵。学生時代の作品。黒歴史というやつです。
収納が多いのをいいことにこういうものを奥にしまい込み、そのままにしてきました。これもいよいよ精算の時がやってきたのです。
とは言っても作風はそんなに変わっていません。武装させられているペットの絵です。しかしまあ下手なこと。画力こんなんだったっけ…?と愕然としました。だいたい2010年、院1の頃ですが、今見ると美大受験の頃より退化して下手くそになっていた気がします。色もぼんやりしているし、描き込みも甘い。展示で公開することも人手に渡らせることも絶対にないでしょう。ここでだけ公開して、処分します。
絵描きとしての自分史においては、この辺りからは割と長い暗黒期になっています。2011年に描いた修了制作は優秀賞を貰ったのですが自分では全く納得しておらず、塗り潰してしまいました。それも手元に残っているので処分しないといけない。
大学を出てしばらくは正規の教職についていたこともあり、仕事を辞めてオーダー制作を始める2015年ごろまで作品はろくに残っていません。
前向きに捉えれば上手くなったんだなーという感じなんですが、よくこんなんで活動続けてたな…という感じでもあります。根拠の無い自信があったのでしょう。根拠の無い自信って多くの人がどこかで鼻っ柱を折られて目を覚まし、無くしていく(それが大人になるということ)ものなのだと思いますが、幸か不幸か自分はそれを持ったまま突っ走ってしまいました。そして今、「こんなに下手くそだったのに作家活動を続けたとか正気か!?」と過去の自分に鼻っ柱を折られた気分です。少し大人になったかな。
これだけ凹んでおいてなんですが、今も似たような感覚はあります。しかし今は根拠の無い自信というより、これを描かないといけないという自分への義務感になっています。根拠は無いです。
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