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皿を洗う人びと

先日、職場の代表がある日のできごとについてFacebookで投稿していた。
うちの職場はコワーキングスペースを兼ねており、定期的に利用者がある。

投稿を要約すると、
利用してくれたお客さんが場所を気に入ってくれ、次回の予約に繋がった
というもの。
その投稿にコメントがついていたので覗いてみると、
代表が皿洗いに時間を費やしたことに対して、驚く声が寄せられていた。

たしかに、その投稿の末尾には、
「皿洗いも終わったので、わたしも帰ります」
と書かれていた。

さらに、そのコメントに対して別の人がコメントをしていた。
「皿洗いをするのは基本です。掃除や使いっぱしりなど、何でもやります」

コメントのやりとりについて思うことはあるものの、
基本が大事というのは確かにそうだな
と納得するところがあった。

皿洗いというキーワードで、いくつか考えることがあったので、
今回はそのことについて。

 

大学生の頃

 

 

いまもよく利用しているハレマでのできごと。
この日からしばらくは、
はぎ=皿洗い
のイメージが定着したとか、しなかったとか。

その場の空気に馴染めない
という消極的な理由でお皿を洗ったのが、まさか評価してもらえるとは…!
という思い出。

ハレマでは度々ご飯会があるので、
不言実行で皿洗いができるとカッコいいなと思ったりする。

 

QINOCOにて

 

もうひとつの仕事として、
私はQINOCOというカフェで働いている。

 

このカフェは、コーヒーに合う食事の提供をコンセプトにおいているため、
ドリンクだけでなくフードにも力を入れている。

QINOCOに出勤したとき、
私がいちばん最初に行うのが皿洗いだ。
皿洗いをしながら、
注文の入り具合やその日の忙しさを把握する。
仕事を始める準備体操として、皿洗いは最適なのだ。

 

 

皿洗いの様子はインスタに載ることもなければ、
お客さんに褒めてもらえることもない。
当然だが。

しかし、
お客さんに美味しい食事を提供することだけを考えていては、
汚れた食器が溜まり、提供に使う食器そのものがなくなってしまう。

皿洗いは後片付け・雑用のイメージが強いと思う。
実際、そういった部分は大いにあるだろう。
ただ、皿洗いが行われなければ、
食事提供との良いサイクルが崩れてしまう。

表舞台に立つ食事のため、
皿洗いは縁の下でお店を支えている。

 

まとまらないまとめ

 

皿洗いというテーマでnoteを書いたのは、
自分自身が裏方で動くことを、
苦に思っていないからだろう。
自分の目立たない仕事が、わかる人にわかってもらえたら、
自分はそれだけで嬉しい。

自ら率先して皿洗いできるマインドを、
年を重ねても変わらず持っていたい。
そう思った。

 


いまの個人的なおすすめは、秋冬限定の台湾風まぜそば。
QINOCOにもぜひお越しください。

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