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自分にかけた呪いをとくこと

モヤモヤした思春期を過ごし、過去の、そして今の生き辛さは何なのだろうと思っていたとき、それは呪いだったのだと知りました。

セカオワのファンだったこともあり、藤崎彩織さんが不眠症を抱えていること等は以前から知っていました。しかし、この記事を読んで、彼女が自分と似た感覚を持っていたことに衝撃を受けました。

「そうだったのか、呪いだったのか」
自分を縛っていたのは、ほかの誰でもなく自分だったのでした。それに気づいたとき、少しだけ心が軽くなったのです。

藤崎さんは自分のことを語る際に「呪いのような性格」という表現を使っていますが、私の場合は自分に1つの呪いをかけていたのでした。

自分に呪いをかけるきっかけには、小学生の時のとある経験がありました。今となって思えば、誰が経験してもおかしくないようなありふれたエピソードなのですが、私には長い年月のしかかるトラウマとなっていたのです。

それは小学6年生の頃。
私の小学校は1学年当たりの児童数もけして多くはなく、1学年1クラスのみで、進級してもクラスメイトが変わることはありませんでした。
6年間一緒に暮らすことで児童間のつながりが深まるといったメリットもあるのでしょうが、関係性が変わらないという点から、いじめ等の問題も発生していました。

特に6年生の頃はいじめが頻繁に発生し、Aさんがいじめられていたかと思えば、今度はBさんをAさんがいじめているといった状況。女子の間でのいじめがひどかったように記憶しています。

クラスでひそひそ話が問題になったことがありました。「誰かの顔を見ながらひそひそ話をしたら、その人が嫌な気持ちをする」ということで、担任の先生からクラスメイトに向けて話があったのでした。いかにも小学生間のトラブルといった感じですね。
私には全然関わりがないと高をくくっていたのですが、それは大きな間違いなのでした…

ある日。
私は仲良し女の子2人組と同じ班にいました。授業中もそれなりにワイワイしていたように思います。女の子2人が楽しそうに話すので、私もつられて笑っていたのでした。

すると、その日の帰りの会で、1人の女の子が私たち3人の行動に傷ついたと声を挙げたのです。私にはそのつもりは全くなかったのですが、同じ班の仲良し女子は、声を挙げた女の子をからかう発言をして笑っていたというのです。
その場で素直に謝れば事態も大きくならなかったのでしょうが、指摘を受けた後の私の不用意な発言が、さらに女の子を傷つけることになってしまいました。

「知らんかった…」
そして、この一言で女の子は深く傷つけただけでなく、私自身に呪いをかける言葉になったのでした。
(楽しく話に付き合っていたつもりが誰かを傷つけていたなんて…)
その一心から口をついて出た言葉でしたが、もう取り返しようがありません。

少なくとも高校時代までは、この経験を私は引きずっていました。知らず知らずいじめに自分が加担していたことに加えて、不用意な発言で相手を傷つけてしまったこと。女の子に対して謝ることができなかったのも関係しているでしょう。
こんな経験から10年ほど経ってやっと、最初に示した藤崎さんのインタビュー記事で、あの自分の発言を許してもいいような気がしたのでした。

自分にかけた呪いをとく。
これまで生きてきた経験から、いつの間にか自分の考えや行動に制限をかけてしまうのが私たちの性なのかもしれません。一度失敗した経験があれば、再び失敗しないようにするのは当然ですからね。
無意識のうちに自分を縛っている「呪い」に気付き、それをもみほぐしていくことが時には必要なのかもしれません。

自分にかけた呪いは自分にしかとけませんからね。
というわけで、小学6年生の時のエピソードでした。

ではまたノシ

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