世界を愛し誰かに愛された男 -ザ・チャレンジがくれたもの #沢チャレへの愛の名言集 -
音楽文に初投稿したもの。当時、時間の経過に伴って一人称や文末を変えるのが個人的なブームでした。そういったところも見てもらえたら。
▼音楽文のリンク▼
(2024年6月23日追記)
音楽文のサービス終了に伴い、上記のリンクから読めなくなってしまいました。
noteに残しておいて良かった…
当時沢チャレが反応してくれた旧Twitterの様子もこちらに貼っておきます。
卒論もロクに書かずに音楽文の内容に頭を悩ませていたものだから、沢チャレをはじめとするメンバーに自分の文章読んでもらえた喜びは、姉くらいにしか共有できなかったな…笑
また東京以外でもライブしてくれるのを楽しみにしてるぜ!😎😎😎😎😎
ーーー以下本文ーーー
彼らに初めて出会ったのは2013年の「ROCKIN’ON JAPAN」の紙面だった。
NEW COMERと書かれたその記事、アオリ文句が一番に目に飛び込んできた。
「最強のパーティーバンド、覚醒か?愛を叫び、歌うトリプルヴォーカルの新星を見ろ」
アーティスト写真は異様だった。
サングラスをかけた謎の5人の男が精悍に佇んでいる。
彼らは何者なんだ。
いくら記事を反芻しても写真を凝視してもわからなかった。
しかし、その見開きページからは ただならぬワクワクの予感が溢れていた。
記事を読んだ後、流れるようにYouTubeで「ザ・チャレンジ」を検索。トップに表示された楽曲を再生。
初めて感じる衝撃だった。フロントマンの放つ絶妙なラップ(お世辞にもうまいとは言えないが)と両脇を固める2人の美しい歌声、思わず踊りだしたくなる完成度の高いメロディ。
相容れないはずの様々な要素が1つの楽曲の中に閉じ込められている そんな気がした。
ザ・チャレンジと出会った時、ぼくはわずかなお小遣いを貯めてはCDを買う高校3年生。
受験勉強に追われる秋のことだった。
それからずっと彼らを追いかけてきた。
『みんなのチャレンジ』を買うと、タラチャレのグラサンが当たった。
大学生になったぼくにはピンクのサングラスを身につける勇気がなかった。
モンバスに行った時にかけてみたら周りからは笑われたけれど、いつもの内気な自分から少しだけ変われた気がした。
初めてのライブハウスは5番勝負の阿倍野ROCKTOWNだった。
はじめて がいっぱいでドキドキした。
先行物販に行くとヤンチャレがスタッフと話していた。6人目のオレンジの人は慌ただしく働いていた。沢チャレはサングラスを外して談笑していた。
「本当に実在したんだ…」
彼らが、ザ・チャレンジが、この世界に存在していることを実感した。
その日は夜ダンとの対バンだった。踊り方もグルーヴも一切わからなかったけど、その瞬間をめいっぱい楽しんだ。あっという間の2時間。
ライブの終わり際にドラチャレの放ったスティックが自分のいる方にとんできた。それは誰かの手に当たって落ちると自分の足元へ。手を伸ばした。宝物を離さないように大事に力強く握りしめた。
終演後に、全通しているらしい客チャレの1人が声をかけてくれた。連絡先も何も聞くことなんてなかったけれど、どこかで通じ合えたような気がして嬉しくなった。沢チャレにも会いに行った。“ドラゴンは帰っちゃったからね”とスティックにサインを書いてくれた。ツーショットで写真も撮ってくれた。
その日だけで宝物が何個も増えた。
初ライブの熱も冷めやらぬ4月のこと。メジャーデビューのプロモーションで彼らがテレビに出た時は自分のことのように嬉しかった。何度もメジャーデビューについて歌ってきた姿が目に浮かんだ。バカリズムと5人が話しているのが信じられなくて、テレビ画面を何度も写真に撮った。テレビを通して見る5人も キラキラ と輝いて見えた。
BRADIOとの2マンの時は、待望のコラボをPCの前にじっと張り付いて見ていた。どちらも大好きなバンドだったし、ファンを大切にしたりライブを全力で盛り上げたりする様子から、勝手に両者に共通点を見出していた。案の定、とてつもない相乗効果が生まれた最高のライブに。画面越しにも伝わる臨場感と多幸感に、自分もその場に立ち会いたかったと強く強く感じた。
一番の盛り上がりは2組が同じ舞台に立って聴かせてくれたマッシュアップ。ギターに数回しか触れたことのない自分にも、彼らのテクニックの妙がありありと伝わってきた。
1年も経たずに発表されたフリーランスになるというニュースには驚いたけれど、ザチャレらしくてすんなり納得できた。逆に1年でメジャーを退くことができる彼らに惚れ直した。
「次はどんな景色を見せてくれるんだろう」
5人が与えてくれるワクワクにもう夢中だった。
「会いたい夜はどうすればいい?」の時は、寒空の下でCDとTシャツを買った。2曲だけ収録された簡素なCDと塁さんたちがデザインしたTシャツ。シャンデリアの印象的なライブハウスだった。その日もチャレマックの憧れるほど綺麗な歌声はライブハウスに響いていた。
大阪での沢チャレのMCは東京でのものとは違う気がした。そこまで感じ取れるようになっていた。大阪の客チャレを盛り上げるために必死に汗をかく彼は相変わらず輝いていた。
それまで配信限定の楽曲は買ったことなかったけれど、ザチャレが2曲もリリースするもんだからiTunesストアで検索をかけた。イヤホンで何度も何度も再生。色褪せた東京の風景もダンスの虜になる夜も大好きになった。
そして、
12月に東京行きが決まり、たまたまザチャレのライブがあることを発見。
即申し込んだ。
11/16には年内で活動休止すると突然発表があった。ザチャレに会えなくなる寂しさとバンドの最後に立ち会える高揚感とがごちゃまぜになった。
12/13にはクリスマスイブに配信ワンマンをすると発表があった。東京キネマ倶楽部がファイナルにならなかったのは残念だったけれど、沢チャレのファンへの気遣いに胸がアツくなった。
12/15私は東京にいた。
「WE ARE THE CHALLENGE !」
沢田チャレンジはいつものようにステージに立っていた。
5人は愛を届けに、集まった客チャレは彼らへの愛を伝えるためにそこに集っていた。
そんな不思議な一体感があった。
「泣いたやつ退場な!」
そんな言葉を守れるはずもなかった。
きらびやかな会場にたくさんの笑顔と涙が満ちるような幸せな時間だった。
いつまでもこの時間が続いてほしい。そう思わずにはいられなかった。
この5人にいつまでもついていきたい。そう感じてしまう自分がいた。
1曲目は『恋をしようよ』、ラストは『お元気ですか』。
ザチャレと共にあった、これまでの私の人生を振り返るようなセットリストだった。
こうしてザ・チャレンジ第一章が幕を閉じた。
受験勉強に悪戦苦闘する高校3年生のぼくは、3月に卒業を控える大学4年生の私へ。
Facebookで時折更新しているのを見るのが密かな趣味だった。
LINEで沢チャレから毎日メッセージをもらうのが、いつの間にか楽しみになっていた。
Twitterで曲のリクエストを送ると反応してくれて、年甲斐もなくはしゃいだこともあった。
Instagramで本業とバンド活動のダブルワークをこなしている様子を見ては、毎日を頑張る勇気をもらっていた。
沢チャレからたくさんの愛をもらった。
自分勝手でもなく押しつけがましくもない、やさしい愛だった。
彼はいつも客チャレのことを第一に考えていたし、ライブのMCでのやりとりが本当に好きだった。
ライブハウスで歌う彼は、いつも自然体であり全力だった。
彼の真似をしてライブハウスも自宅も関係なく振り付けを踊っては大声で歌った。
沢チャレと他の4人のメンバーとの関係性も垣間見えるのがライブの醍醐味だった。
ただのバンド仲間ではない精神的なつながりがそこにはあった。
羨ましかった。
彼らと一緒の時間を過ごしたい。そう思うと自然とライブハウスに足を運んでいた。
ザチャレの音楽で育った。
『恋をしようよ』に励まされて、ずっと好きだった人に告白した。
相手には彼氏がいて恋は叶わなかった。でも不思議と涙は出なかった。哀しかったけれど清々しい気持ちだった。
『おねがいミュージック』はザチャレとの出会いの曲。
カラオケで歌っても沢チャレのラップがいつまでも上手く歌えない。
トリプルヴォーカルを1人で歌おうとすること自体がムチャなのかな。
彼女ができたら一緒に歌いたいと思った。
沢田チャレンジは決して自分に嘘をつかない。
今の私では、まだまだ沢田チャレンジには追い付けそうにない。
いや私が簡単に追いつけるようでは困る。
ザチャレにはいつまでも夢を見せてもらいたい。
いつまでも汗をかいて誰かに愛を届けられる男になりたい。
自分の夢を叶えるために仲間が協力してくれる男になりたい。
みんな に憧れられて愛を受け止められるような男になりたい。
私は春から社会に出て働く。
周りには働くことに疲れた人たちもたくさんいるけれど、私は今から働くことにワクワクしている。
今までの人生では味わったことがない、新しいチャレンジがその先に待っている。
これから辛いこともたくさんあるだろうけど、その時は沢チャレの歌詞に癒されよう。
一人で泣きたくなる時もあるだろうけど、その時はザチャレの曲が私のそばにいる。
自分だけの一等賞を目指してこれからも生きていく。
そんな決意をこめた、沢チャレへの、ザ・チャレンジへの愛の言葉。
「「チャレンジしてない人生なんて!」」
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