あかぎれ

母の手がひどくあかぎれていた。
「荒れてるでしょ」と苦笑いする母の手は最近始めたパートでさらに荒てしまったらしい。
その手は、小学生の時の私の手とそっくりだった。

当時少年野球をしていた私の手は元々の肌の弱さと毎日の練習で冬になると常にあかぎれており、ぱっくりと指の腹が裂けていた。
少年野球の練習は毎日のことであった上にグローブは従兄からのおさがりでかなりすり減り薄っぺらくなっていたので、いくらハンドクリームを塗り込もうと皮膚科で処方されたステロイドを使ってもなかなか治らなかった。
ただ、ごくまれにある練習がない日ではステロイドで傷がふさがったことを思い出した私は
「野球やってた頃そんな手になっていたけど、皮膚科の薬を使ってしばらくしないと治らなかったよ」と伝えると
「あの時はごめんね」と母は悲しそうな顔で答えた。
私としては当時つらい思いをしたからとか、ましては嫌味でもなんでもなく、ただ思い出して普通のアドバイスのつもりで言っただけだったのでひどく驚いた。その場で含みのある内容ではなく、純粋にそう思っただけであることを話し、会話は終わったが、あの母のなんとも悲しそうな謝罪が気にかかった。

母の「ごめんね」には少年野球を辞めさせなかったことを意味していると思う。従兄の影響で小学3年生から少年野球を始めた私に父は「少年野球を辞めないこと」を約束させた。その少年野球は上述したように土日も含めほとんど毎日練習があった。部員数は20人前後だったと思うが、女子は私含め2人で、時には1人のこともあった。好きでもなく、ただ従兄がやっていただけだからという安直な理由で始めた野球の練習はあまり楽しくなかったのは覚えている。また、肌の弱さに加え慢性的なアレルギー性鼻炎で常に鼻は詰まっており、季節ごとに風邪にかかるという虚弱体質であったため、かなり体力的にもしんどい思いをしていた。ただただ、練習に行かないと怒られる、辞めることができないという思いでひたすら練習をするも、当たり前であるが好きでもない野球は上手くならなくずっと6年生でも補欠であった。しかも、補欠であることを恥じてもいなかったのだ。


野球に熱い想いがあったわけではないが、練習は真面目に取り組んでいたので、間違いなく良い経験にはなったとは思う。思うが、具体的にどういった良い経験だったのか、良い経験の名前を探せていないでいる。
この名もなき私の良い経験に母は罪悪感を持っていることに、あの「ごめんね」で気が付いたのだ。母に野球をやめたいと話したことはあったと思うが、辞めることは許されなかったので、私のためになると思って続けさせていたのだと思っていた。なので、私はこの経験を価値のあるものであるが、納得できていないものとして扱ってきた。
納得できていないのにも理由があり、この経験は下手でも継続することは忍耐力が~という教育方針にも受け取れそうなのだが、3歳年下の弟はこの少年野球を辞めているのだ。当時中学生だった私は両親に抗議をしたが、納得できる理由はかえってこなかったのは強く覚えている。

この他に同級生の家庭と比べたら厳しめな我が家のルールは12歳離れた兄と私のみに適用され、弟には適用されていないことがしばしばあった。(兄から見れば私の時も緩くなっていたと思うが)これらの弟へのルール変更は兄と私が盛大な反抗期を迎えたため、教育方針の転換をしたのだと理解していた。

話を戻して、あの少年野球の経験に母が罪悪感を抱いているということは、他のあれやこれやと同じで「教育方針の転換前のやつだった」というわけだ。

今とてもすっきりした気持ちだ。

ほかのあれやこれも含めて、今さら両親に追及したいとはちっとも思っていない。
ただ、少年野球を辞められなかったことを良い経験として扱わなくて済むことに気が楽になった。

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