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今日がいちばん若いとして、わたしはいま何を思う

今日がいちばん若い日
この次に続くのはどんな言葉だろうか。

「~まずは考えすぎずにいろいろやってみようか。」
「なにかを始めるのに遅すぎることはない。」

そんな感じだろうか。


いまわたしはこの言葉を受けて、なんていうか、そうは思わない。どんな感じかというと、ただ「そうだよな~。」って。

ほんとうに、ただそれだけ。


これを書いている今日、わたしは生まれて29年と330日、日数にすると10,922日目らしい(数えた)知らず知らずのうちに10,000日を超えていたのか。よく生きたなあ。

今日という日はいちばん若くもあり、いちばん年を重ねた日ともいえる。

少し前のわたしはとにかく漠然とした不安と焦りと共存して生きてきた。


わたしたちは未来に希望を託して生きる


「20代後半から急に生きづらすぎひん?」
ある満月の夜、河川敷でたまたま集った地元の友人と夜通し語り合う。2022年好きだった時間ベスト5には入る尊い時間のハイライト。

月明りが照らす深夜2時、缶ビールを片手にそれぞれの生きづらさがぽつりぽつりと現実世界にこぼれ出る。

ある人は転職を考え、ある人は理想のパートナーと出会えず悩み、そしてわたしは仕事ややりたいことが尽きず、いつ子を持つべきか迷っている。みんなそれぞれのステージで悩み、不安を感じ、もがいている。


30歳を目前にして、わたしたちは想像することが上手くなりすぎた。
周囲からの期待、先輩の実体験、親からのプレッシャー。暇があればSNSをのぞいては飛び込む友人の近況報告、会ったこともない人の教えやアドバイスで情報が錯そうしている。あたかも「そうあらねばならぬ」「そうあってはならない」といわれているかのごとく、思考が一瞬にしてのっとられる。だれに言われてもないのに、返ってくる言葉まで想定して身動きがとれなくなったりして。


知らないだれかを基準にしてその差分に焦り嫌気がさす。本心をおきざりにして、現状と理想の差分を慌てて埋めるように自分を奮い立たせる。やるせなくて、むなしくて嘆く。


まだ見ぬ仕事、パートナー、子ども。どれも実態がないもんだから、きたるそのときに備えて想像するしかない。そしてあらゆる可能性を考慮しながらできるだけ失敗しないように慎重に、できるだけ理想に近づくように情報を集めたり行動したりして。正解なんて、あるようでないとわかっていながらも、そうやって生きていく。

なぜかやり直しが効かない、たった1回きりの勝負で、できるだけ完璧に近いかたちでいきたいという人間らしい反応なんだけど。

あと、みんなうすうす気づいてるけど、30歳だろうが40歳だろうが50歳だろうか、きっと常にそのステージならではの悩みがつきまとう。忘れてるだけで、10歳のときも20歳のときも常に自分と社会とのギャップを感じて生きてきたのだから。


みんないつだってそのときの自分がいちばんかわいいしなんとかしてあげたい、よね。



わたしたちは、いつも未来に希望を託す。


なににも抗わず、ただそこにいる


あの日からたった3か月。

いまのわたしはむやみやたらに焦っていないし、ただただ「わたしはここにいる」という実感が強い。そう思えていることに気がついた。

それはこのnoteを書くにいたっているきっかけ、だれかから贈られた”キーワード”で物語を綴っていく、アドベントカレンダー冬の企画から。


今回わたしが受けとったキーワードは
「今日が一番若い!」


冒頭に綴ったように、わたしはこのキーワードをただ「そうだよな~。」と、しみじみお茶をすする気分で受け止めている。これは年齢がゆえの落ち着きの作用も少なからずあるかもしれないけれど、紛れもなく内省が深まったからなのだと言い切れる。

きっと少し前の自分だったら、世間一般的に言わんとする「だからいますぐ何かはじめよう!」のような文脈に、どうにかのっかろうとしていただろう。自分の葛藤やモヤモヤを無視してエンジンを空ぶかしするみたいな。

学生時代や社会人なりたてのときに受け取っていたとしたら、資格の勉強しよう!あの人に話を聞いてみよう!とか、きっとどこからともなく湧いてくるエネルギーに素直に火をつけていたと思う。いまの自分の状態を不足していると疑いもせず、未来に熱い眼差しを向ける。(それはそれでいい)


でも、いまのわたしは妙に落ち着いている。地に足がついている。
未来と過去、その中間にとどまっている感覚がある。

ブレーキともちょっと違って、安易にその文脈にのらない。だれかがこう言うから、私もそうしようとしない自分がいる。のっかる軽さもないし、のらないという頑固さもない。しなやかに立ちつづける自分に驚いている。



過去と未来がバランスよく均衡に保たれた世界

もちろん後ろを振り返ればこれまで生きてきた軌跡を感じてじんわりと誇らしい気持ちになるし、先を見ればまだ見ぬ将来に想いを馳せることだってする。

なんていうかそのバランスが絶妙に均衡しているのだ。過去も未来も存分に感じたうえで、なにもしないという選択。

あるものはある。ないものはない。
そこを素直にみとめられるようになったのかな。

過去は過去、未来は未来で自分のなかで独立した存在として認識できている気がする。もちろん日々の延長線なんだけれども、不必要に影響させすぎないというか。グラデーションのなかにも「いまのわたし」がちゃんとそこに立っている。

いつだって起点は今日。そして「今ここ」その事実も変わらない。

コーチングを学んだこの1年でやっと地に足がついたなあ。


といいつつ、日々些細なことに浮足立ってはまだまだ漂うこともあるし、いまだにやるせなかったりもどかしかったり、苛立ちがおさまらないことだってたくさんある。それも全部そうだよな~。って。いいとか悪いとかじゃなくて、起きていることは全て起きているとただ認める。

あれ、もしかして少し器が広がってる?そんな気がしてなんだかうれしいな。



さいごに


こんなところでわたしの変容を実感できると思ってなかったなあ。あらためてこの言葉を贈ってくださった方、ありがとう。
いまの自分の状態を知れる、魔法の言葉かもしれない。

そして初日から最高な企画だなと思っていたけれど、あらためて今回も参加できて光栄です。りみさんまーさんありがとう!


ただここにいることを認め、いまの自分を許す。
昨日でも明日でもなく、今日を生きる。


「今日が一番若い日!」
さて、この言葉を聞いて、みなさんには今なにが浮かんでいますか?

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