『君たちはどう生きるか』のガンダーラの仏像について
ガンダーラの仏像に関する『君たち』の記述のいかがわしさにつて、誰もなにも⾔わない、書かない、というのは、僕にとっては本当に不思議に思える現象です。
例えば、ユニクロに売っている洋服は、⻄洋式なのだから、⻄洋⼈が作った、と⾔えるでしょうか?
もしかしたら、歴史的な検証を経て、ユニクロ1号店の近所には、⻄洋⼈が多く⼊居しているマンションが建っていたという事実が発⾒されるかもしれません。ですが、例えそうであったとしても、「そうした歴史的事実を踏まえればユニクロ1号店の洋服は⻄洋⼈がつくったと判断できる」などとは到底⾔えようはずがないことは容易に理解できることだろうと思います。
ここで例⽰した「ユニクロの洋服問題」と『君たち』における「ガンダーラの仏像問題」は、同じ論理構造を持っています。
(ユニクロ1号店の洋服のつくり⼿かがどのような⼈種⼈物であるのか、それを確定するための⽅法とはなにか、その条件を可能な限り詳細かつ具体的に述べよ)
たとえば、ユニクロにおいて、その製品がどこの国で作られたかを判断するばあい、そのデザインで判断することはまずあり得ません。タグに書かれた「made in」の表⽰を確認するはずです。
このことと同様に、ガンダーラの仏像を誰が作ったのかを知るためには(「ガンダーラ⼈が作った」という答え以外を求めるなら)古⽂書や碑⽂などの⽂字情報が必要になります。何故なら、ここで求められている⼈間集団のアイデンティティーは、⽂字によって表現されるものでなければならないからです(なぜそう⾔い切れるのか考えてみよ。現代で例えば国籍とはどのように証明されるのか考え、問題の類似性について考えよ)。
美の様式によってその作り⼿を正確に判断するのは(『その様式をつくりだした⼈々』という概念≒⾔葉)をつくりだす以外では)不可能なのです。
考古学においては、例えば「縄⽂⼈」などのように、使⽤していた⼟器の様式をもってそのつくり⼿の集団をも指し⽰す表現もあります。こうした場合には「縄⽂様式の⼟器を作ったのは縄⽂⼈だ」と⾔っても何も間違いではなく、語の定義どおりの正しい表現ではあります。
「ギリシア⼈」という語がどういった概念であるかについて、『君たち』では不明瞭なまま作中で議論が展開されていますが、⼀般的に考えた場合「ギリシア⼈」という概念は様式美に紐付けられた概念ではない、ということだけは語源的に考えて確かなことのように思われます。
「ギリシア⼈」という⾔葉がガンダーラに当時存在していた⼈々をも含めて指し⽰す概念であるかどうかをその⾔葉の歴史性に沿うかたちで判断するならば、すなわち、「ギリシア⼈」という⾔葉を正しく理解し用いようとするならば、現在のわたしたちが判断を直接⾏なうのではなく、過去にこの⾔葉を⽤いた⼈々が「ギリシア⼈」という⾔葉をどのように適⽤しきたのかを古⽂書や碑⽂の中に探し求めなければならないのです。
「〇〇⼈」という定義の共通の正しく普遍的な認定基準がどこかに存在するわけではなく、ただ個々の⽤法の記録が⽂献上に残存しているだけにすぎません。
「君たち」において吉野は、有物論的実証主義的歴史事象に⽬をむけさせるトリックを仕掛けていますが、この問題において真に⽬を向けなければならないのは、⾔葉、ロゴスの問題なのであり、すなわち論理の問題に他なりせん。
以上のことを踏まえて、作中のおじさんの説を評価すれば、それは単に、これまでの言葉の用法を無視し新たな概念として「ギリシア人」という言葉を使おうと誘いを提案しているだけにすぎません。
吉野はこうした概念の曖昧さを意図的に利⽤して、おじさんに嘘を語らせ、コペル君と読者をだましているわけです。
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