見出し画像

年号とインターナショナルサウス

面白いもんでして、年号と時代は似るっていう発想は令和においても当てはまりそうな感じです。
詳しくは私の稚拙な書「年号と時代 年号という訓戒」をお読みください。
年号と時代、年号という訓戒|ある_ぽす (note.com)


令和という年号のもととなった梅花歌32首併序の序文では「師の宅に集まりて宴を開く」とあります。啓蒙されにいくわけでなく、個別の人格が集い宴を開くのだそうな。

「グローバルサウスの逆襲」という本を読みますと。国家という垣根を越えて共通の価値観を共有しようというグローバルなヨーロッパとアメリカ。これはグローバルノースと呼ばれているそうで。これの弱体化が指摘されています。
対して、各国家のあり方はそのままに成長しようというインターナショナルなそれ以外。曰く「インターナショナルサウス」の伸長が予想されているようです。個別の国が伸びてくると予想されているわけです。

梅花歌の序の1行目「師の宅に集まりて宴を開く」がようやっと来そうな感じがします。となると、令和という年号は、私の当初の予想とは違い、かなり長くなるかもしれません。令和50年とか、令和100年とか。


さて、「師の宅に集まりて」ということは、各々が自宅から出て、出かけて行って集まってこもっているわけなのです。

私たちはどこに集まるのでしょうね。
なにを「師」として集まるのでしょうか?神を師とするならば、各宗教、宗派ごとにまとまって集まるということになるのでしょうね。地域を師とするならば、ご近所で集まるのでしょう。陸軍国家、海軍国家でまとまるとなると、武力を師とすることになるのかな?アニメや漫画、ゲームを師とするなら、より個人的な連帯による宴が開かれることになるのだろう。

覇権主義、啓蒙主義による統一化、単細胞化は嫌われるでしょうねえ。


読んでくれてありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?