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オーバードーズで死に切れなかった時の話

*この記事は自殺を推奨するものではありません.

最近虚無労働しかしていなくてnoteを書いていなかったので、以前別垢に投稿したが色々な葛藤の末非公開にしたnoteを少し編集して再アップすることにしました。

経緯

直近数ヶ月が人生最大レベルに鬱で、常に死ぬことを考えていました。

最初はドアノブで首吊りにしようと某マニュアルを買ったのですが鬱すぎて内容が頭に入ってこず紐の結び方とかが理解できず、これは無理なのではないかと諦め、かといって飛び降りや飛び込みは怖いし(ほんの1秒の勇気があれば一瞬なんだろうけど)完遂確率はあまり高くないことは知りながらもODで死ぬ方向で飲む薬を検討しつつ決行するタイミングを伺っていました。

その日はちょうど精神科の通院日だったので、本当に人生が辛い、元気になる薬が欲しいと話したのですが相手にされず、診察の最後の5分とかはもう死ぬことしか考えていませんでした。

苦しいから終わらせたい気持ちが半分、自分が死んだら誰かが後悔したり悲しんだりしてくれるかな、といった謎の期待が半分でした。

そのときの1ヶ月半くらい前に好きだったYouTuberが自殺してしまって、たくさんの人が追悼するメッセージを送っていて、ちょっとそういうのに憧れてたってのもあったのかもしれません。影響、怖い。

病院から帰るとドラックストアを2軒まわり、自販機で水を買って夕方の誰もいない公園のベンチで薬を飲みました。

恐怖はあんまりなかったです。怖くなったら辞めればいいからまず1シート飲もう→1シート飲んだだけじゃ死ねないし気持ち悪くなるだけだからもっと飲まなきゃ→2シート飲もう→...みたいな気持ちの保ち方をして気づいたら2箱飲み切っていました。

飲んだ後は我に帰ったというか、あーやっちゃったな...wみたいな感じでした。意外と冷静。

なんかツイートするかと思いTwitterの鍵垢を開きツイートしていたら思ったよりTLを騒がせてしまい、申し訳なかったです。

飲んだらすぐに意識なくなるのかと思ったけど案外なくならなくて、こんなに飲んだのに意識すら飛ばなかったらどうしようと思いながら道を歩いていました。意外とフラフラせず歩けるな〜と思っていたのですが、頭を傾けたら一気に気持ち悪さが来ました。

頭を打つのは痛そうだったので、路上に横になりました。(気持ち悪さがきた場所がちょうど薬を買ったドラックストアの目の前でした。最悪)

もうその時点で意識が朦朧としていたのかもしれませんが、音が聞こえなくて人が歩いてるのだけ見えて、道で倒れても案外みんな気にしないんだな〜って考えてたら次の瞬間ドラックストアの店員さんが立ってて、大丈夫ですか?救急車呼びますか?って感じで救急車を呼んでくれました。

10代くらいの人が道に倒れてて...ってドラックストアの店員さんが電話してる音は聞こえて、私は10代に見えるんだな...って何故か安心しました。

次の瞬間には救急隊員の人が横にいて、自分の名前と家の電話番号を言った気がしますが救急車に乗った記憶は全くありません。

記憶

救急車の記憶は一切ないです。なので救急車に乗ったのに中がどんな感じなのか知りません。電話番号を言ったので親呼ばれて同乗してくれたらしいですが、それも覚えてないです。

次に記憶があるのは白い部屋?多分救急車降りてすぐの処置室?みたいなところにいた記憶です。

目を開けたら時計が見えて、10時を指していました。ODしたのが確か6時半頃だったから、4時間近く経ってたんだな〜って計算してました。そこまで計算できたのにまた意識がなくなりました。腕を拭かれた感覚があって、血管細い〜って声が聞こえて、うわ刺される!!って思ったけど刺される前に意識が消えました。

次の記憶は乗せられてるベッドが移動してる感覚がありました。

目をうっすら開けるとエレベーターの目の前で、病棟に運ばれている時だったんだと思います。

生存

自分の叫び声で目が覚めました。頭が痛くて、気持ち悪くて、とにかく人生最大に体調悪い感覚がして、あ〜悪夢か...早く目覚めないかな...と思ったのが最初の感想です。(当時本当に悪夢しか見ていなくて、現実を夢と勘違いしたっぽいです)

看護師と医者にここが病院の集中治療室であること、自殺未遂でここにきたこと、今は深夜2時なことを言われました。

点滴が刺さっていて心電図の音がして、鼻になんか刺さってました。

謎に喉が渇いていて、ジュースが飲みたいと叫びました。

ODしたことを思い出し、これが夢ではないことも悟り、「もうしないから助けて!!!」って叫んでたら夜だから静かにして!!って言われました。

ここからの数時間はもう思い出すだけで吐き気がするんですが、常に激しい頭痛、頭を傾けると気持ち悪くて吐く、傾けなくても気持ち悪くて吐くを繰り返していてとにかくひたすら吐いていました。

吐いたものが真っ黒で当時は血だと思っていたんですが普通に考えて活性炭の炭ですね。

夜なのにうるさくしすぎたせいで、複数人いる部屋から個室に移されました。個室に移されたせいで常に看護師が近くにいなくて気持ち悪くなる度に死ぬんじゃないかと怖くなり(自分で死のうとしたのに)叫んで看護師呼んでました。叫ばなくていいからと言われてナースコールを渡されましたがうまく握れず結局叫んでました。

飲んだ薬に入っていたカフェインとかの類の興奮成分?が原因で叫ばずにいられなくなったんだと思います。

気持ち悪くて吐きまくってるのと叫びすぎて喉が枯れてるので氷水でのうがいが許可されましたが、水は飲まないで吐き出せと言われたのに飲みたかったので飲んだら更に気持ち悪くなって吐きました。バカ?

尿意があるのに力が出ず出なくて焦りました。(何故か尿道カテーテルは入ってなかった)

ずっと過呼吸で意識してないと呼吸ができなかったのが朝の6時頃には普通に息ができるようになりました。

入院生活

朝になり個室から最初にいた部屋に戻されました。

すぐ採血がありました。注射がすごく苦手なので怖がったら看護師に怖い顔されたので大人しくしてました。痛いの怖いならなんで病院にくることしちゃったの?って言われたけど苦しまず死ぬつもりだったので...ってなりました。

昼前に医者が来ました。処置してくれた医者らしいですがなんも覚えてないのでわかりませんでした。

運ばれたのが丁度週末の夜だったので、色々な関係上週明けまで入院することになりました。

昼ごはんの前にまた個室に移されてPCR検査とインフルエンザの検査をされました。

何故か出血を伴わない痛みは平気なので、平気でした。

昼からご飯を食べる許可が出ました。全部食べたら点滴外してくれると言われたから全部食べたのに点滴の腕に刺さってる管を外すのではなく薬だけ外されたので話が違うだろ!ってちょっと抗議しました。

救命病棟なのでテレビもなくスマホも使えず、散歩どころかトイレに行くのさえ看護師同行なので出入り口は閉鎖されてないものの閉鎖病棟より不自由でした。

この辺りで点滴の針を外してもらいました。

ODした薬のカフェインの影響か元々の極度の不眠症のせいなのか知りませんが夜になっても眠れませんでした。

眠剤を出してもらえなかったので結局1睡もしませんでした。

その翌日は人生初の解離をしたりしましたが、夜は眠剤を飲むことを許可されたのでちょっとだけ寝れました。医者が来て「なんの薬が欲しい?なんでもいいよ」って言ってくれたけど当時眠剤の知識がなく答えられずにいたらベルソムラとルネスタになってしまいました。ハルシオン貰えばよかった〜〜〜〜〜

また朝になり、やっと平日になったので朝食を食べた後その病院の精神科医が来ました。

長時間話し合いをするのかと思ったら、両隣に他の患者がいるのにベッドの上でもうしないでね?みたいな確認のみでした。

精神科医は順番に巡回していたみたいで、隣のベッドの人がマイスリーODで運ばれてきたことを知ってしまいました。その人は家族の意向で閉鎖病棟に転院と言われていました。

他にも隣の病室の人は包丁を腹に突き刺して運ばれてきただとか情報がダダ漏れで、救命病棟は案外自殺率が高そうでした。

退院

親に迎えにきてもらって本当にごめんなさい...って謝ったりなどをしました。

なんだかんだで親いい人〜って当時は思ったんですが、残念ながら親とはそれから1ヶ月の期間で色々ありすぎて全てが信用できなくなり、児相に行くことになったり施設に行くことが決まったりなんだりで事実上縁切りみたいになります。まあそういうこともあるよね☆

その後は葬式モードにしてしまったTwitterを見たりノリで経緯を表垢のnoteに投稿してしまい若干炎上したりそのタイミングで前々から苦手だったフォロワーをブロックしたら暴言DMが届いたりなどしました。

まとめ

以前書いたnoteをちょっとリライトしてすぐ投稿するつもりが、ほぼ全文を書き直した感じになってしまいました。イキった感じの表現などが多く恥ずかしくなったので...。

半年くらい経った今ですが、新しい生活は安定してきたものの精神疾患が治っている体感はあまりなく最近躁鬱の幅が広くなってきていて希死念慮もあり元気とは言えない日々です。

やっぱり双極なので、あの日死ななくてよかったと思う日もあれば死ねていれば今頃苦しくなかったのにと余計苦しくなる日もあります。

...なんかうまく纏まりませんが、このnoteが読んでくださった皆さんの何かに伝わるものがあれば嬉しいです。


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