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『ばっこちゃん』

 幼い頃、おじいに連れられて、円頓寺の近くにある中京菓子玩具卸売場、通称”問屋街”へよく行っていた。そこには、和菓子、洋菓子、駄菓子、古今東西のありとあらゆるお菓子や、花火、人形、プラモデル・・・この世の楽しいもの全部が揃っているような錯覚を、幼心ながらに覚えた。
 おじいは和菓子職人だったので、毎日のように作った饅頭や最中を卸しに行っていた。おじいの饅頭や最中はとても人気があった・・・

 幼い頃の私は、毎日のようにここで遊んでいたんだ・・・


 おじいがお仕事をしている間、ぼくはひとりで問屋街をウロウロしている。おじいの知り合いの秀さんは、いつもぼくに色々なお菓子をくれる。ぼくはヨーグルが大好きだったけど、秀さんがくれるお菓子は、”紋次郎いか”とか、”きなこ棒”とか、なんか大人が好きそうなお菓子ばかり。秀さんがいないときは、美津さんのお店でお汁粉を食べる。美津さんがいないときは、ばっこちゃんが遊んでくれた。
 ばっこちゃんは問屋街の鳥居の近くに住んでいるって言ってるけど、本当はどこに住んでいるかよくわからない。ぼくよりも少しお姉さんのばっこちゃんだけど、あかちゃんみたいな喋り方をする。ぼくは、そんなばっこちゃんと遊ぶのが好き。

「けんちゃん、今日は帰る?」
「うん、帰るよ。おじいの仕事が終わったら帰る。」
「ばっこ、けんちゃんともっと遊びたい。帰っちゃダメぇ~。」
「ダメだよ、ばっこちゃん。ぼくは帰らないといけないんだ。」

 ばっこちゃんは、いつも同じことを言う。そうすると仕事が終わったおじいがこっちに来た。

「けんちぃ、仕事が終わったでそろそろ帰ろかなも・・・」
「うん。おじい。帰る。じゃぁ、ばっこちゃん、ばい・・・?あれ?ばっこちゃんは。」
「おじいが来たから、ばっこも帰ったに。ばっこはおじいが来ると逃げてしまうに。」
「ふーん。」
 いつもおじいが迎えに来ると、ばっこちゃんは勝手に帰る・・・

 でもほんとうはしってるよ・・・


 いつだったかは忘れたけど、私たちはおじいの家から藤島の家に引っ越した。父が和菓子の販売を本格的にやりたいからと言って、銀行に借金をして、店舗兼住居で3階建てのとても立派な家を建てた。お店では、父の作った綺麗な和菓子と、おじいの作った饅頭や最中を売っていた。おじいの饅頭や最中はとても人気があった。
 確か私が小学6年生だった時、おじいとおばあも一緒に、みんなで若松海岸へ海水浴に行くことになった。母が「花火を十年分ぐらいしたい。」と言ったことがきっかけで、みんなであの問屋街へ花火を買いに行くことになった。

 私には久しぶりの問屋街だった・・・


「けんちぃは久しぶりだな。」
「うん。おじいはまだ卸に来ているの?」
「あぁ、昔ほどではないけど、まだおじいの最中を食べたいって言ってくれる人がおるがね。そういう人がおるまではがんばって持って行くわ。」
「おじいの最中美味しいもんなぁ。」

 そう言えばばっこちゃんはまだいるのかな?・・・

”けんちゃん、今日は帰る?”

 頭の中でばっこちゃんの声がした。ぼくはキョロキョロしながら、おじいの顔を見る。おじいは不思議そうな顔をしていた。おじいには聞こえていないみたい。

「帰る・・・。」

 ぼくはおじいに気付かれないように小声で呟いた。

”ばいばい、けんちゃん、ばいばい・・・けんちゃん・・・”

 また頭の中で声がした。
 でも、ばっこちゃんの声はそれっきり聞こえなくなった。


 その翌年の2000年、名古屋市西区明道町に誕生した”中京菓子玩具卸売場”は、その52年の歴史に幕を閉じた。終戦直後からそのままの形で残っていた建物も取り壊されることになった。

 でも私は何となくそうなることを分かっていた。

 だってばっこちゃんがはじめてお別れの挨拶をしたから・・・


2020年9月。
 私は雑誌の取材で久しぶりにここを訪れた。昔のような古めかしいおんぼろな感じではなく、お店の明かりと月明かりのコントラストが相まって、縁日を彷彿させる雰囲気。とても懐かしくとても穏やかで暖かな街並み。こんな時間なのにお客さんも結構いる。

「また活気が戻ってきてるんだ・・・この雰囲気、なんかいいね・・・帰りたくなくなっちゃうな。」
 同行してくれたカメラマンの仁さんに言った。

 その時、頭の中で声がした。

”けんちゃん、今日は帰らないんだね・・・”

 ふと気配を感じて振り返る。

 天王社の鳥居の上で、ばっこちゃんがうれしそうに笑っていた・・・


おわり


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