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明日が来なければいいのに…

皆にとっては当たり前の様に感じていると思われる毎日だが、私にとっては明日が本当に来るのか?と言う不安の中で毎日を過ごしている。

朝起き学校、仕事へ行き帰ってくると突然自宅がなくなった。その恐怖はとてつもなく何もかもを信じれなくなり不安になった。そして頼ったところが地獄だった。もしかすると家がなくなった事よりもその地獄を味わったのが一番トラウマになっているのかもしれない。

私は今毎日を朝起きてご飯を食べそれぞれのそれぞれの場所へ出かけ時間になったら同じ場所に帰宅しご飯を食べ寝ると言った事を繰り返している。

その毎日の中で精神的に不安定な事も多々あり何に対しても決断できない様になってしまった。そして不安な顔をしているので自分の顔が老人の様になってしまった。

それでも以前食べれなかったご飯を食べる事ができ、寝れなかった毎日だったが睡眠をとる事が出来ている。これは本当に大きな進歩だと思われる。

音楽を聴けるようになったのは去年の夏の夜。忘れもしない夜のバス停。バス停でバスを待っているときにふと空を見上げた。空は夜なので真っ暗だが星が少しだけ輝いていた。見上げた空がとてもすがすがしかった。それはとある人に会いに行った後だった。曲を聴いているとき自然と涙が出た。「私、曲を聞けるようになったんだ」と。それまではテレビの音でさえ聞けなかった。そこまで追いつめられていた。でも自由に曲を聞けるようになったのだ。もういく事のないあのバス停だがはっきりとその風景は覚えている。

人はどのように壊れた心が治っていくのだろう?

”無駄ムダ、あんたは絶対に治らない。くだらん早くいなくなって、ややこしいわ”これが実母の言葉だ。

離れて良かった。きっと実母と離れるためにいなくなってくれたのだ。そう考えるとありがたい。

しかしサンドバックの様に殴られ、その殴った人は被害者と化け人々を騙し逃げた。自分は被害者だと。自分のやってきた事が全く分かっていない。分かっていないのか、自分で都合の良いように消去したのか。自己愛性パーソナリティ障害の人は共通するようだ。離れてよかった。

どの様な未来がまっているのかは分からない。明日はこない方がいいと思う毎日だ。だって明日が来るのが本当に怖い。悪いようにしか行かない気がする。でも私は子供達に支えられている。そして頼られている。信じてもらっている。だから3人で毎日を過ごそうと思う。

なんとなくだけど、良い未来が待っている気がする。

なんだろう?この予感は。なんとなくそう思う。


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