西洋哲学を日本語で

 目的もなく書店をふらふらしていて、2冊の面白そうな本に出会った。片方はいつも読む作家の小説で、もう一方は聞いたことのない人が書いた知らない哲学者についての哲学書。
 2冊とも買って帰るもありだけど、その時は1冊だけにしようと思う。同じくらい興味を惹かれる。迷う。
 よくある状況だけど、こんなときは必ず知らない人の本を選ぶことにしている。
 すでに知っていてよく憶えている作家には、こちらからまた会いに行けるけど、知らない人の知らない本はすぐに忘れてしまう可能性が高い。そしたらその出会いは消えて無くなり、せっかく目の前に現れた未知の本はたぶん2度と読めなくなる。
 そうなればそれはそれまで、でもあるけれど、なんかもったいないし惜しい。
 メモしておけばとも思うけど、でも後から見るそういう覚書は、色褪せていることが多い。興味というのは割と簡単になくなってしまう。しかしこちらの表面的な興味がなくなったとて、その本が面白くないということではない。当たり前だ。
 知らない著者の面白そうな本は、見かけたその場で買う。大げさに言ったらそれは人生の信条で、そうしないと、もしかして大きな僥倖かも知れない出会いを、取り逃がしてしまうことになる。
 そんなわけで瞬間迷ってすぐに、初対面の哲学者の本を手に取った。

 そのように出会ったのが、戸谷洋志著、『ハンス・ヨナスの哲学』。
 哲学について何を知っているわけでもないくせに、哲学書はいかんせん面白そうに見えるので、とりあえず挑戦してはあえなく撃沈する、というのを繰り返している。
 そんな哲学書なんちゃって読者でも、この本はとても読みやすかった。「読みやすかった」はほんとにうっすい感想で、イコール「理解できた」ではないのはもちろんだけど、哲学書に特徴的な何を言っているのかさっぱりわからない言葉が少なくて、論の流れが追える。ただそれだけでなんか楽しいと思える、哲学書読書としてはなかなか得難い体験だった。

 読みやすい哲学書と言ってしまうと、なんつーか、誤謬かな…、という気がするけど、少なくとも、西洋哲学を日本語で読みやすく書ける人との出会いでありました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?