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英語と向き合うということ8

栄養素をバランスよく摂取するように、英語学習もバランスが必要だなと日々感じています。よく使われるようなフレーズとか、言い回しとか、季節ものの単語とか挨拶の言い方とか、インプットは必要なわけですが、(多くの日本人がそうであるように)アウトプットが足りないので、英会話カフェ(LanCul)で実践会話の練習(アウトプット)は大事にしています。とはいえ、アウトプットだけだと、バリエーションが増えなかったり、新しい単語表現を覚えられないので、やっぱりインプットも続けています。

さて、アウトプットの場としての英会話カフェについてですが、いろんな方が参加されています(運営側の目線ではなく、参加者側の感想です)。時間帯にもよります。やはりある程度、時間に都合がつく方、セッションの時間に間に合う仕事スタイルの方などに限定はされるものの、土日もあるので普通の社会人の方もどうにか時間を工面することもできるかなと思います。参加場所も都内であればいくつもあります。

それでも、なかなか続けていくのは困難なわけですが(最初から留学の前の一定期間だけとか、大学の休み期間だけとか、目的はそれぞれなので別の形にシフトしてももちろん良いわけですが)その中で続いている人の共通点があるなと思いました。

それはスタバのコンセプトみたく、その人にとって第3の場所みたいになっているということです。ライトな部活動という感覚かもしれません。「英語の勉強」と「コミュニケーションの場」のバランスが逆転して、コミュニケーションの場でたまたま英語を使うという感じでしょうか。もっというと英語を口実におしゃべりをしに来るという感じでしょうか。国際交流は楽しいですし。

自分の場合でいうと、会話についていけず、落ち込むこともあります。知らない単語が行き交って後で調べることもあります。見切り発車で話しだしたら何言っているか分からなくなったりすることもあります。第3の場所になっている人はそれなりに中級者以上であると思いますが、そこまでいくと勉強感は薄れ、おしゃべりの場の要素のほうが強くなってくると思います。

特に、既に仕事を引退されている方やそれに近い年配の方であれば、その交流の場があることは大きいのではないかと想像したりします。まだリタイアしていない自分であっても、仕事とは違う別のコミュニティがあることは気分転換になります。そういう意味で、英会話カフェや英会話コミュニティの存在は、もしかしたら、英語学習という域を超えて、今後重要な位置づけになってくるのではないかと強く思うのです。もちろん一定のお金はかかりますが、コミュニティを提供すること自体が社会貢献になってくるのではないかと思った日でした。