自分が指針としていること

「なんで宿題しないといけないの?」

おそらく小学校に通ったほぼ全ての人が思ったことであろうこの問い。この答えにどう答えるか?

僕は小学校で先生をしている。自分自身も子供のとき同じことを思ったに関わらず、宿題を子供たちに出している。自分が受けた教育と同じ様なことを割と保守的に行なっている。

結局小学校6年間、中学校3年間は当然ながらずっと宿題を出すという方針で教育は行われているので惰性で出していると思う人も多いかもしれない。しかし、勤めていたらこういったことにどう丁寧に答えるかが僕はとても大事なことだと思っている。

これまで勤めてきて、色々な子供にこの問いに答えてきた。もう少し経験が少ない時は「より勉強ができるようになるため。」や「家で勉強する習慣をつけるため」など色々な理由をつけてきた。もちろん答えてきた答えが間違っているわけではないと今も思っている。しかし十分ではないと今は思う。

この「なんで宿題しないといけないの?」にどう答えていくかは公教育の現場で働いていくためにとても大事な示唆があると思っている。

そこで自分はタイトルの通り指針を持つことが大事だと思っている。
自分は3つの指針を元に小学校で子供に指導する様にしている。
その指針とは「自立すること」「人の中で生きていくこと」「学力を身につけること」の三つである。

指針を持つにあたり重要なのは「指針を一つにしない」ことだと思っている。なぜなら指針が一つの絶対的なものになるとその方向の指針の通用しない事例の場合、対応できない時があるからだ。それこそ「なんで宿題しないといけないの?」に対しての自分の答えにしても、「もう学力はついているから十分」や「家業を継ぐあたってそんなに学力はいらない」といった反論は当然できるだろう。そんな時それ以上説得材料が無いのは対応力が無いと言える。
一つの指針でなんとかなるほど人間は単純ではない。だからこそ複数の指針を持つことが大事だと考えている。
おそらく、それはこの仕事に関わらずあらゆる仕事で遠からず近い話であると思う。例えば、「お客様の笑顔を大事にすること」の指針だけでは商売は成り立たない「お客様の笑顔を大事にすること」「社員が笑顔で働けること」は矛盾することではないし、多くの企業で並列される指針であると思う。

自分の指針について一つずつ説明していく。まずは「自立すること」である。
個人的には三つの指針の中でも一番大事にしている。なぜ「自立すること」かというと、自分の力で自分の人生を決めていくというのがその子の幸せにつながると僕が信じているからだ。正直に言って信仰的なものに依っている。「自立をする」というのをどう定義するのかが大事だと思う。僕は「自立した人」が「大人」と考えている。そして「大人」とは「自分のことを自分でケアできる人」だと思っている。
「大人」であることは二つの点から重要であると思っている。子供が子供である所以は「守られる存在である」というところにあると思う。しかし、子供はずっと子供ではなく、いつの間にか大人になっていく。このいつの間にかというのは段々とできることが増えていき、自分で自分の身の振り方を段々と決められる様になっていく途上で大人になるのだと思っている。
もちろん、この世の中は大人になりきれていない大人だったり、自分の出した定義に全ての人がなれるわけではない。
少し話はそれるが以前人の幸福度が増えるのにはどんな要素が重要かという記事を見た。その記事によると、幸福度は自分で自分のことを決められる。選択肢の中から自分で選択できることが大きいという内容だった。自分はこの内容に納得が行った。自分が不幸だと感じる人の話を聞くと周りの環境に文句を言ったり、自分がしたい選択ができなかったということに対して不満を言うことが多い。
僕はできれば自分の出会った人々には幸せになっていってほしいと思っている。そして自分の人生の責任は自分しか背負えないとも思っている。どうしようもないことや自分ではなんともできないこともあるが、そんな中で自分で自分の人生を引き受け、自分から幸せを掴んでいってほしいと思うから、「自立すること」を重要な指針として指導を行なっている。

二つ目は「人の中で生きていくこと」である。「社会性」とよくいうが、平たくいうと「居場所を作ること」だと思っている。
「居場所を作る」ということで大事なことはたくさんある。自分が所属する場所のルールを知ること、約束をすることや守ること、自分や相手を傷つけないための方法、相手との距離の取り方など様々である。
「学校社会」は当然ながらある種の特殊性を帯びた場所である。変わったルールや習慣はたくさんある。そんな学校社会に必ず馴染まないといけないというふうには思っていない。しかしどんな社会もある種「特殊」であることもわかっておく必要があると僕は思っている。そして人として生きていくのであれば何かしらの人との関係性で生きていかないといけないことは避けられない。
今の日本は昔の日本と比べて産業構造が大きく変わり、第三次産業、つまりはサービス業に従事する人口が増え、関わりの中で金銭を得る人が大多数の社会になってきた。その分人と関わらないといけないというプレッシャーが増えたのが現在の課題と思う。
以上のようにやたら大きな問題を出してきたが、それを踏まえてどうやって居場所を作っていくのか、人との関わり方を学んでいくのかを考えさせていくのは重要だと思っている。
そして、今の学校での社会性づくりは産業構造や社会の変化から複雑さが増しているということは抑えないといけない。
しかし、根本的には「約束を守る」「人を傷つけない様にする」「周りの人を大切にする」と言ったことを大事にすることであると思う。
最初に取り上げた「なんで宿題やらないといけないの?」はこの「人の中で生きていくこと」にも関わっていると思っている。宿題の課題はなんでもいいいが、宿題の大事なことは「約束」であるというところだと思っている。宿題という約束をいかに守るかを先生は見ている。なので「難しくでわからなかった」や1時間以上かかったから途中までしかできなかったという言い訳は割と多くの先生は納得できる。問題や約束を守ろうとしているのかを見ているのだ。

三つ目が「学力を身につけること」である。
なぜ学力を身につけないといけないのか。それは単純に自分の将来の選択肢が増えるからだと思っている。
日本社会のみならず、世界の多くの社会は学歴社会である。学力があると自分の将来が決まっていない多くの子供にとって自分の将来の選択肢を広げるものになっている。もちろん、自分のなりたいものが決まっているのであれば、それに向けて勉強すればいいと思っている。ただ、学力を身につけ知っていることやできることが増えるとそれだけ自分の好きにできる範囲や選択できるものは増えるので基本的には勉強をとうして様々な能力を身につけて自分に自信を持てる様になっていくのはいいと思う。
三つ目の「学力を身につけること」はよく学校という存在の大きな目的なので重要視されるが、結局は自分次第なところがある分、指針の中では弱くなりやすいと思っている。
なのでこの指針についてや子供たちがなるべく「やらされている」と思わず、「いつの間にかできていた」や「楽しく学べていた」という方向に持っていくことが自分の職業的な腕の見せ所だとも思っている。

以上のような三つの指針のもと行っている。この指針は今の所の暫定だ。ひょっとしたら2つに変わるかもしれないし5つくらいに増えるかもしれない。ただ、今働く中で考えた結果がこうなったという形だ。

蛇足的だが、この三つの指針を形作る上で自分の中で背景にあるのは思想家ハンナ・アーレント「人間の条件」における3つの活動力、「活動」「製作」「労働」の三つと、教育哲学者ガート・ビースタの「主体化」「社会化」「有用化」の三つの能力を育成するという二人の考え方に影響を受けている。大学院でアーレントを研究していたのでより引きずられているところはある。

どうしても指針というと「一つ芯となるものを持つ」というようになりがちだ。でも、このように複数の指針を持つことで、現実の生活の中でしなやかに過ごせるのではないかと思って、自分の考えをつらつらと書いてみた。
皆さんの生活に役立てればと思っている。

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