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「分からない」を楽しむ(俳句・短歌)

(はじめに)
今日の記事、一年以上前に書いたこの記事と、正反対に近いことを言っています。人間って考えること変わるもんだ。


最近、俳句・短歌がおもしろいです。

興味をもったきっかけとしては、だいぶ前に江戸東京博物館に行ったとき。
ある展示に、江戸時代の武士が教養として和歌を嗜んでいたと書かれていました。それを見て一緒に来ていた友達が、「和歌って平安時代とかからあんのにこの時代までバリバリ楽しまれてんのすごいな」って言ったのを聞いて、たしかに。と思いました。

それで帰ったあと調べると、どうやら今も短歌を詠んでいる歌人と呼ばれる人たちがいるらしいということがわかりました。お恥ずかしながらここで初めて歌人の俵万智さんのお名前を知りました。

そのあとダ・ヴィンチという雑誌の「短歌ください」という穂村弘さんの短歌投稿コーナーの存在を知り、2、3首投稿してみました。まあ採用されることはなく、それからしばらく就活なりなんなりで疎遠だったのですが、最近時間に余裕ができてまた興味が復活してきました。

短歌に興味を持っていると、自然と同じ短詩である俳句を見かける機会も増えました。テレビ番組の「プレバト!!」で芸能人の方が俳句を詠んでいるのとかをみて、興味を持ちましたね。


「分からなさ」がいい

短歌とかの俳句の好きなところは「分からなさ」です。

玄人は短歌や俳句を理解して噛み砕いていると思うのですが、今のところ自分は全然分かっていません。でもそれが面白いです。

たとえば今手元に雪舟えまさんの『たんぽるぽる』という歌集があるのですが、その一首目はこんな歌です。

目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港がすき

雪舟えま『たんぽるぽる』

正直意味はよくわかりません。論理的でもなんでもありません。
目がさめるだけでうれしいほど、人生が充実しているのだろうか。もしかして恋をしているのだろうか。自分はそんな気持ちになることあるかなぁ。人間がつくったものを愛でているということは、この世界で日々人間の営みが積み重ねられていることに満足感をもっているのだろうか。空港ってすごく大きくて、つくるのにもたくさんの人が関わって、たくさんのひとに使われるものだ。たくさんの人の行動が積み重なってできているから好きなんだろうか。そういや「目が覚める」って書くより「目がさめる」のほうが、ゆっくり起きた感じがするなぁ。
とか、色々考えられちゃうわけです。


俳句だと例えば、こんな有名な句があります。

遠山に日の当りたる枯野かな

高浜虚子

枯野があって、遠くの山に日が当たってるよ。と言っているだけです。
言葉通りに取れば「で?」って感じなのですが、「枯野」という季語から冬の動植物が活発ではなくなった野原に、冷たい風が吹くのを想像できます。日陰で寒々とした枯野の向こうに、スポットライトのように日が当たっている山が見える。視界の殆どは寒々しい枯野のはずなのに、遠くの日の当たった山のおかげで、なにか暖かい景色にも見える。
みたいな映像を想像できます。そんなことは別に書いてないけど。


自分はいままで詩どころか、小説にもあまり触れてこなかった人間です。読む本と言ったら、面白い知識や考え方を提供してくれる実用書のようなものばかり。そういう文章では、やはりロジックが通っていて分かりやすいことが重視されます。

日常で文章や言葉が求められる場面、たとえば、論文やレポートを書くとき、プレゼンをするとき、就活で面接を受けるときにも、やはり論理的で分かりやすい言葉遣いが重宝されます。

Twitterでバズるツイートは「共感できる」ツイートだし、noteで読まれる記事は「分かりやすい」記事です。

インターネットの世界では「論破」という言葉がよく使われる様になって、ロジックを固めて対話相手を反論できないようにすることに快感を覚える人も一定数いるみたいです。

確かにビジネスとかでは他者を説得したり、巻き込んだりするために「分かりやすい」「論理的な」説明ができることはマストだと思います。

自分もずっとそういう「分かりやすい」「論理的」みたいなものに魅力を感じてきたし、そういうものを書きたいと思ってきた人間なのですが、「自分の実現したいことのために他者を巻き込みたいから」とかいう目的があったからそうしていたわけではなく、単に分からないものに蓋をして逃げていただけかなと、最近思うようになりました。

というか、ずっと「分かりにくい」は悪だと思っていたのですが、短歌や俳句を見て「分からない」ことを愛でるということがあっても良いんだ!ということに気付かされました。

歌集とか句集をみていても分からない歌、句だらけです。
昔は「分からない=退屈」だったのですが、今はその分からなさ、完全に理解できないけどぼんやりイメージできる。といった感覚が、あってもいいものだと気付かされて、堂々と楽しめています。

詩にアレルギーがあるひとも、分からないことに恐怖を感じすぎている場合が結構あるんじゃないかなぁと勝手に思っています。

「わかりやすさ」が正義の世の中で、分からなくてもいいという気持ちよさ、意外とクセになるからおすすめです。



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